ともあれ楽しまなければ

続・通訳〜日本語と英語と手話と

僕一人であったなら、部屋に戻ってダイヤルアップ接続を成功させるまでトライし続けるのでもよかった。それが無理でも、この、俄かに面白くなってきた状況のログを入力するのも退屈ではない。

でも、この旅の出発前からそうであるように、おたく的にパソコンにばかり向き合う僕の姿は、妻にとっては決して愉快なものではない。

スタンリーパーク
スタンリーパーク

夕方5時半、どうせ一日延泊したなら、それだけの価値を残したいと出かけることにする。行きそびれていたクイーン・エリザベス・パークに初めてのタクシーで向かった。予定外の出費がどんどんかさんでくるけれど、段々、気力を使い果たしてくると、半分、自棄にもなってくる。

ホテルのランクがひとつ落ちるせいか、デルタホテルにはコンシェルジュのデスクというものが特になくて、日本でいうところのホテルマン(名刺によればゲストサービス)が入口で一人、あれこれと取り仕切っている。フロントでタクシーを呼んでもらったら、今度はこのサービスマンが「どこに行くのか?」「そこで食事をする予定か?」「帰りは何時頃になりそうか?」と色々たずねてくる。

旅の初めには何とか頑張って分かる単語だけでもききとろうとしていた妻であるけれど、それで充分な意思の疎通ができることはやはり難しいといことが僕たちにもはっきりと分かるようになっていた。運良くワンフレーズがききとれたとしても、それですべてを推測するのは到底無理なことであるし、なまじっか妻がその、わずかにききとれたフレーズを僕に手話で通訳してくれると、それを見た相手は、妻が全てをのみこんで、完全に通訳してくれているのだと思ってしまう。実は「何ていってるのか分からないね」と伝えてくれるときでさえも。

これは日本にいて、耳のきこえない、きこえにくい人間がおかれる状況にもとてもよく似たものだ。部分的にききとれただけで、口の動きが読み取れただけで、「分かった」フリをしてしまう。でも、本人は分かったつもりが、実は全然、伝わっていないというようなことが多い。大きな誤解をしている、肝心なことが伝わっていない。

滞在中よく訪れたMarket place
滞在中よく訪れたMarket place

それでもう、この頃から妻も話さないことにした。僕はデフであることをはっきりと云うし、「彼女もそうなのだ」ということにする。嘘も方便。相手に筆談してもらう、という確実な手法に力を集中した方がいい。日本では適当にごまかせることでも、海外で曖昧なやりとりは通用しないし、許されない。

クイーン・エリザベス・パーク

日の長いバンクーバーはこんなときにうってつけで、やってきたクイーン・エリザベス・パークは、午後6時、なお夕方と呼べない明るい日差しに覆われている。

市内を眺望できる小高い丘にあって、庭園を上から見下ろす形にできているこの公園は、花の観光名所としてよりも、昨日まで僕らが滞在していた市中心部のダウンタウン、そしてその向こうに広がるノース・ショアとロッキー山脈を一望できる、抜群の眺望ポイントとしての価値が大きい。

バンクーバーが雄大な自然に抱かれた街だということを実感することができる。

クイーン・エリザベス・パーク
クイーン・エリザベス・パーク

それでなくても旅の最終日だったはずの一日、帰国便に搭乗できないことを突然に告げられ、空港内を引きずりまわされ、部屋からのネット接続もできないようで、僕もいい加減かなり疲れてしまっていた。半分、自棄気味でやってきたクイーン・エリザベス・パークであるけれど、でもここは来て良かった。美しく咲き誇る色とりどりの花と、そして広がる緑が疲れた気分を癒してくれる。海からの風を受けるスタンリーに対し、こちらは丘の上を通り抜ける風の中にいる心地よさを感じることができる。

手のかかる客

慣れというのは、時間に比例する。それでなくともコミュニケーションに苦労する僕も、段々、図々しくなってくる。分からないことはフロントに何度も足を運んできく。確認する。納得するまで。

今度は、部屋のシャワーの使い方が分からない。どうやったら水が出てくるのか? 蛇口をひねっても出てこないじゃないか。パンツ一丁でくつろいでいた中、「こんなとき、聴者なら(日本なら)内線電話ですぐに片付くことなのに」と思いつつ、脱ぎ捨てたジーンズと靴下をはき直して降りてゆくことになる。

「やれやれ、またお前か」と思われるくらいに、フロントも感じていたにちがいない。「耳のきこえない男と、英語の通じない女」の組み合わせの僕らは、ホテルのあちこちでさぞや手のかかる客だったろう。

部屋で待っていると、また別の、作業服を着た従業員がやって来てくれる。威厳を感じさせるのがひとつの資質であろうフロントや玄関口のサービスマンと違って、この従業員風のおっちゃんは相手に緊張感を与えない。迷惑な顔一つせずに、陽気に教えてくれる。バスルームのシャワーは、単に、蛇口を手前に引っ張るだけのことで、古くて固かったから、僕らの引っ張り方が足りなかっただけだった。

こんなことで来てもらってゴメンナサイと僕も照れながら、

“Oh,pull!"

“Yes! Pull!"

“Pull and push!"

“Yes! Pull and push!"

“Hahahahaha・・・!"

従業員のおっちゃん(画:妻)
従業員のおっちゃん(画:妻)

人好きのするこのおっちゃんは、僕らのやりとりを見て手話にも興味を持ってくれた。出てゆくときも、本来、僕らが頭を下げて言うべきところの「アリガトウ」を、覚えた手話と同時に何度も繰り返し、まだまだもっと話し足りなさそうな表情だったほどだ。



 

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