ラテンとゲルマンを結んだ交通の要衝

イン川(Inn)の岸辺
date journey
8月17日(日)
a.m.
Innsbruck ----

イン川に架かる橋

チロル入り後の翌朝、初っぱなにホームで発車する列車を見送ることになった──元々、予定していたわけではないのだけれど、チロルの列車は本数が多くなく、事前計画の大切さに気付かされた──ことは四苦八苦 移動編 1 に書いた。

気を取り直して「いつでもできる」インスブルック市内観光を最初に決行。

イン川(Inn)の岸辺
パステルトーンの建物が並ぶイン川(Inn)の岸辺

到着前夜は駅からホテルまでの道に苦労させられたが、明るければ地図と照らし合わせてスムーズに歩いて回れる。オーストリアやイタリアからドイツ、フランス・・・といった中欧を抜けてゆくツアーが 1、2時間だけ立ち寄ってゆく、あるいは夜に到着して翌朝には次に向かう、宿泊だけの中継点としていいポイント。

まさしくインスブルックは「イン川に架かる橋」という意味の、宿場町として栄えた交通の要所。ローマから欧州各地へのキリスト教布教にあって、今のドイツに向かうアルプス越えの中で最も越えやすかったのがインスブルック南方のブレンナー峠であったことからチロルはヨーロッパでもっとも早くキリスト教が布教された地域の一つであった。

ゴールデナー・アドラー(Goldener Adler)
ゴールデナー・アドラー(Goldener Adler)

逆に後の世紀には多くの芸術家がインスブルックに宿泊してイタリアに向かった。ゲルマンとラテンの北と南を結ぶ地ともいえる。

イン川近くにあるインスブルックで最も古い歴史的な宿が1390年創業のゴールデナー・アドラー(金鷲館・Goldener Adler)。王侯貴族やゲーテ、ワーグナー、モーツァルト、ハイネ・・・といった巨匠達の多くがここで一夜の宿をとった。ヨーロッパのほぼ真ん中に位置するともいえるインスブルックの東西南北の交通の要衝ぶりがわかる。

800年の歴史を誇る古都の見どころは旧市街に集中して見回りやすく、せっかちな日本のツアーが駆け抜けるのにちょうどいいコンパクトさ。

僕らが歩いた午前中はまだ店もこれから開けるといった時間の、屋外カフェもなく人通りも少ない閑散としていたが、ノルトケッテ連峰から吹く涼やかな風の中に中世の面影を残す佇まいを存分に感じることができた。

ハプスブルク帝国の原型、最後の騎士

黄金の小屋根(Goldenes Dachl)
黄金の小屋根(Goldenes Dachl)

ハプスブルク家の支配下に入ったインスブルックは、とりわけ15世紀末、ハプスブルク家の黄金時代を築いた皇帝マクシミリアン1世が神聖ローマ帝国の首都をウィーンでなくインスブルックに置いたことから、彼の治世下に帝国の本拠地として目ざましく発展した。

その象徴が「黄金の小屋根」(Goldenes Dachl)。広場で行われる騎士の馬上試合を見物する観覧席として、もとからあった領主館にバルコニー部分を増築させたもので、金箔を施した2657枚の屋根の鋼板はハプスブルク家の栄華の名残を物語っている。

マクシミリアン1世は生涯のほとんどを戦場で過ごしたともいえるほど遠征を繰り返した英雄の勇猛果敢さぶりから「中世最後の騎士」と讃えられている。このハプスブルク家史上もっとも名高い名君が愛した地がチロルである。

汝は結婚すべし

マクシミリアンと2人の妃
マクシミリアンと2人の妃

王朝の版図拡大と繁栄を支えたもう一つの側面が婚姻外交であった。

彼はブルゴーニュ公国(フランス東部からドイツ西部、ベルギー、ルクセンブルク、オランダにまたがる当時、欧州一繁栄を誇っていた国)の娘マリアと結婚し、労せず莫大な富と領土を獲得したことから、子や孫にも周辺国との契約結婚をかわして爆発的な領土拡大に結び付けた。


Bella gerant alii, tu, felix Austria, nube

戦いは他の連中にまかせ、汝は結婚すべし。幸多きオーストリアよ

後にインスブルックの大聖堂教会で再婚したマクシミリアン1世は、黄金の小屋根のレリーフにも2人の妃と自分の姿を刻ませた。

また、永遠の憩いの地として自身の霊廟を建築させるほどインスブルックを愛した。王宮教会は霊廟をおさめるために建てられたが、実際には遺体は生まれ故郷のウィーン・ノイシュタットに埋葬されており、空の棺が安置されている。

王宮付属教会(Hofkirche)
王宮付属教会(Hofkirche)

 

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