スイスで思う国籍性

スイス人の建築魂

林道を抜けると、街の一番、東の外れに着く。村内を循環するバス(ツェルマットは車の出入りが禁じられているため、バスも小さな電気自動車)で戻ることも考えたが、地図をよく見ると、クラインマッターホルン展望台(*1)へのゴンドラ乗り場がここからすぐの地にあることに気付く。

シュルーマッテンのロープウエー駅
村はずれ、シュルーマッテンのロープウエー駅〜ここでは鏡面に映りこむマッターホルン

行き当たりばったりにしては、うまい具合に進むもので、ためらわずに乗り込む。フーリ(Furi)まではゴンドラリフトなので待ち時間もなくスムーズ。フーリで大型のロープウェーに乗り換え、トロッケナー・シュテーク(2939m)へ。さらにトンネルを200mくらい歩いてからエレベーターで垂直に引き上げられ、そして、最後に階段を登ったところ・・・が、第4回で触れたヨーロッパ最高地点の展望台(3883m)、クラインマッターホルン展望台である。

*1 近年、現地観光局によりマッターホルン・グレイシャー・パラダイス(Matterhorn Gracie Paradise)という愛称がつけられた。


ロープウェーで運ばれる最中、マッターホルンをはじめとして4000m級の名峰の数々が目の高さになるほどに間近に迫ってくる。

グリンデルワルトでもどこでも、とにかく驚くのは、スイスの輸送に関する建築技術というか、スイス人の建築魂である。ハイキングコースの実によく整備されていることは述べたが、アルプスを前にして人が自らの足で歩き、登るだけでは飽きたらず、3000mを超す標高の地にも電気の力で、機械の力で、人を楽に移動させようという野望を持つ。時計が有名であるように、日本同様、あるいは日本以上に精密機械製作の高い技術を有する国であるから、そこに困難な課題があればあるほど、とことん究めたい、とでもいった国民的気質があるのだろうか。

異国の地で思う国籍性というもの

ところで、帰りのゴンドラで遭遇したこと──。

半端でないスイスの輸送技術、輸送魂をみせる大きなゴンドラで、数十人が一気に運ばれて行く。満員の乗車だった行きとは違い、帰りは二十数人くらいのまばらな状況。そこで、若いスノーボーダー10人程度と乗り合わせた。女の子が一人にあとは皆、男で、全員、二十歳になるかならないかの幼い顔立ちである。

羊
羊の愛される地1 滞在先ホテルのソファ

一見して日本人のように見えた。スイスを訪れる日本人の多いことは周知である。中高年に人気の地スイスで、多少、場違いな感じはあるにせよ、その中に若い人、大学生あたりが夏休みを利用して遊びにきていてもおかしくはない。何も遠いスイスに来ずとも、他に夏でも滑れる地はあろうし、とびきり物価の高いスイスに学生が来れること自体、少々、あきれもしたけれど、世の中にはそういうボンボンもいるだろう。

彼らは顔立ちも幼かったが、行動も稚拙だった。公共の場とは思っていないかのような傍若無人な振る舞いをみせていた。ボードを自分で持つでもなく、適当に窓に投げ掛けて、例のウンコ座りで陣を組み、広い室内の半分を我が物顔に独占した。スノーボーダーに特有の、ダボダボ、ルーズなセンスのかけらもないいでたちで、髪も髭も伸ばし放題で薄汚い。

若い人らが旅行していて、賑やかなくらいならいい。若さ、明るさは微笑ましい。けれども、このときの若者たちは礼儀知らずでしかなく、その恥ずかしさは異様だった。救いようがなかった。スイスまで来て、こんな日本人の醜態を目にしないといけないとは。無視することも逃げることもできないゴンドラの中で、同胞の醜態に自分まで気まずさを感じずにいられなかった。

アジア人として

ところが、しばらくして、彼らが日本人ではなく韓国人であることに気が付いた。ぱっと見では気付けなかったが、よく見ると、やはり日本人とは違う特徴の顔立ちで、男達には全員、いわゆる朝鮮民族系の面貌がはっきりとあった。

日本人でなかったのか、と変な安心感が生まれるでもなく、別にそのことで蔑視だとか差別的感情が生まれるのではないが、このときにさらに考えさせられた。

羊
羊の愛される地2 布地等土産店。ここは徹底していて、絵ハガキその他も羊であふれる

まず、近年、日本でも大ブームの韓流TVドラマや映画を見ている限りでは、美男美女ばかり。これは僕の見方が偏っているのかもしれないが、韓国の男優女優をみたとき、女優の美しさが特に際立つ。大統領をはじめ、男でも整形手術に抵抗感がなく美容に強い関心があるらしい国というとおり、このときの若いグループの女の子も、さすがに男10人をしたがえる紅一点だけのことはあった。けれども、そうはいっても、やはり、庶民レベルでは、皆がヨン様、ビョンホンなわけでなく、風貌にも民族性がはっきり現れるものだなあ、と思わずにいられなかった。もちろん、これは日本でも同様である。

それから、最初、彼らを日本人と信じて疑わなかったように、行動様式というか、振る舞い、素振りまで日本と韓国とで似てきているのか、ということ。ヤンキー座り、ウンコ座りは日本だけの醜態と思っていたが、そんなものまで韓国へ伝播しているのか? あるいはその逆か? もしかして若者のグローバル標準なのか!?

僕は未だ韓国を訪れる機会を得ていないが、韓国は日本以上に道徳の教えの行き渡った国ではないのか。儒教精神の生きた、礼儀正しい国民だときく。特に家族を大切にし、目上の人を敬う気持ちが徹底しているときいているのだが・・・。日本はその逆で、最近は子どもの頃から、年上の人間に対しても敬意を示さない、生意気な輩が増えていると思うのは僕だけでないはずだが、それが少子化によるせいが大きいだろうのと同様に、日本以上に少子化の進んでいる韓国も例外ではないのだろう。中国も一人っ子政策の反動で、わがままな「小皇帝」が都市部を中心に増殖し、いずれ国を滅ぼすだろうという論調も最近はよくきく。

そんな具合に、このときの若者だけが特別だったわけでもなかろうが、けれども、どこの国も若い奴は失礼、では済まされない程度であったので、ちょっと僕の韓国に対する、今まで持っていた、割といい印象が崩されて非常に残念に思わずにいられなかった。

自国性を識別できるものはあるのか

また、僕が最初、分からなかったくらいだから、他国の人にはもっと分からないだろうということ。これは僕らが米欧、いわゆる「西洋人」をみても国までは分からないように、その逆も当然、そうだろう。

世界からスイス(ツェルマット)を訪れる、観光客の国別の比率はどの程度なのだろう? 見当も付かないが、順番でいえば、(1)スイス国内から、(2)隣国(ドイツ、オーストリア、フランス、イタリア=車で来れる)から、(3)その他の欧州各国、(4)日本を含むその他の国・・・というところだろうか。今回の滞在中、僕も「今、目の前にいるこの人はどこの国の人だろう?」ということを結構、面白く想像していたものである。(何となく、オーストリア系じゃないかな?)、(このファッションセンスと堅物さはきっとドイツ系)、なんて勝手に想像していたが、もちろん、全く分からない。

欧州の人達はその点、風貌だけでおおよそは区別できるのだろうか? 例えば、これぞスイス人、と呼べるような特徴があるのだろうか? 確かに話す言語、方言では分かるだろうが。それとも、300年もの長い年月を鎖国してこれた島国の日本が特別なだけで、歴史的にも人の移動が当然で頻繁だったこの国の人達にとっても、やはり、簡単に見分けはつかないのだろうか。

 伝統的に人道主義国家のスイスには人口の約2割にあたる150万人以上の外国人が住んでいて、不法滞在者も多いという。先週(9月24日)、難民審査の厳格化と移民の規制強化の是非を問う国民投票が行われ、いずれも賛成多数で承認された。


このとき、ゴンドラに居合わせた、いわゆる欧米人、西洋人達は、彼ら若者をどう見ただろうか? 僕が日本人と間違えたくらいだから、彼らにはとてもではないが、アジア東方の人種を日本人、中国人、韓国人・・・と見分けることはできないだろう。ちなみに、今回の旅程中、出会ったアジア系の人というと、やはり日本人が圧倒的(ツアーできているので半端ではない数)で9割以上、韓国と中国が少々、インド人は英語が喋れて富裕層はとてもリッチだからだろうか、意外に多かったように思う。

そうすると、ゴンドラ内のほとんどの人は彼ら若者を日本人とみたろう。弁解もできないし、否定も説明もしようがないが、ちょっとそれは愉快なことではない。このときのケースが特殊だっただけで、日本人だから、韓国人だから、と決めつけられるものでは決してないが、せめて中国、韓国を含め、アジア人としてでも品位を持って他国から見られたいものである。

そんな具合に、ゴンドラの中という意外なところで、自国性とか、民族性なるものを考えさせられた次第である。

バーンホフ通りを通り抜ける山羊の群れ
朝夕2回、羊飼いの少年に連れられてバーンホフ通りを山羊の群れが通り抜ける

こうして、一日目(7/17)はスネガエクスプレスからスネガ展望台へ、いったん2時間かけて下山し、午後からはクライン・マッターホルン展望台。再び下山してなお日は高いので、バーンホフ通りをゆっくり散策&ショッピング・・・と、丸三日間かけても惜しくない名所巡りを、スイスの素晴らしい交通の良さであっという間に堪能することができた。



 

  Related Entries


Message

メールアドレスが公開されることはありません。