スイス天候事情

旅の幕開けは曇りのち大雨、料理も最悪

Eiger

今回、滞在したのはグリンデルワルトとツェルマットの2箇所。各3日間の計6泊。一年で最も暑い7月でさえ、それぞれの平均最高気温は22.6度と18.9度。例年なら夏でも長袖でずっと過ごせる快適な地である。

Grindelwald駅に到着
7/13 8:00p.m. Grindelwald駅に到着
右は駅に隣接して建つ有名なホテルDerby

スイス入りした初日、グリンデルワルト駅に降り立った瞬間、列車内の冷房とは違う、山間の地の独特の冷涼感が全身を包む。グリンデルワルトは日本でいえば軽井沢か上高地のような避暑地といったところだろうか。旅の幕開けの感動とも相まって、「ああ、この涼感は一生、忘れない」と思ったものである。

けれど、それが夕立の後によるものだと気付くのに時間はかからなかった。行きのフライトが予定より早くチューリッヒに到着したことで、グリンデルワルト入りも一時間早く8時に着くことができた。サマータイムもあって日の長いこの地、夜8時はまだ夕方の始まり。ホテルへのチェックイン後、散歩を兼ねて通りの店で軽い食事を取っていたら、ようやく町が暗くなり始めた9時過ぎ、突然、激しい雨が降り出した。しばらく降り止む気配も見せず、このときは傘を持って出ていなかったから、大いに弱った。

グリンデルワルトが天気の変わりやすい地であることはきいていた。山に囲まれた地であるから当然のことでもある。ツェルマットも含め、天気次第では山にも登れないから、雨ならベルンやルツェルンといった都市観光でもやむなし、それはそれでいいと覚悟していた。グリンデルワルトとツェルマットの各3日間、それぞれ一日だけでも晴れてくれればラッキーと思うべきなのがこの地の旅行である。旅行パンフレットやカレンダー、絵ハガキが見せてくれる素晴らしい光景に簡単には出会えないことを、このときの激しい雨は、きいていたとおりに知らしめてくれた。

おまけに、ここのレストランの料理がまずかった。身体を動かさない長いフライトに加え、ビールやワインだけは沢山飲んでいたこともあるし、で、空腹感は全くなかった。1時間早く着いたからついでに、と、ぶらりと出かけたことがあだとなってしまった。軽めのつもりで、早速、注文した"ラクレット"の辛すぎて食べられないこと! 選んだ店の失敗だった(でも、不人気というわけでもなく、店内は満員だった)ことといい、雨といい、出鼻をくじかれたというか、旅の初日の、はしゃぎ、浮き足立っていた気分を一気に冷まして暗くさせてくれるのに充分であった。

それでも、振り返ってみると、この最初の日の夜が最悪であった。最初が悪かった分、後は日増しに良くなっていった。料理も天気も日ごとによくなっていったのが今回の旅である。

後、ずっと晴れ

2日目から天気は絶好調に快晴。朝6時過ぎ、部屋から見えるアイガービューの雄大で、かつ清冽な眺めの素晴らしさに飛び起きる。移動疲れなど吹き飛んだ。晴れたことで、すかさず、考えていたプランのうち優先順位の高いものからこなしてゆくことと決め、メンリッヘンからクライネ・シャイデックへのハイキングとなった(ハイキングについては、まとめて別記)。

アイガーの夜明け
ホテルの部屋から見るアイガーの夜明け

この日は結局、午前中が快晴。次第に雲が出てきて午後には、やや、肌寒くもなった。夕方前、山の上では雨がパラパラと落ちてきて、前夜の激しい雨の再来かと身構えたのだが、本降りにならずに降り止む。初日、チューリッヒ空港からグリンデルワルトへの道中、夕方までが曇り、夜がにわか雨、2日目の夕方が曇り、で、結局、日中に太陽が身を隠したのはこの2回のみ。

3日目以降はずっと晴天が続いた。午後から雲がやっと出るかどうかの、快晴の日々であった。グリンデルワルトでもツェルマットでも、初めての朝が快晴で、部屋から澄み切った空にアイガーやマッターホルンがそびえ立つのを眺められるのには感激した。幸運に恵まれたことに大いに感動していた。

毎朝、快晴の空、アイガーやマッターホルンを染めてゆく朝日に目覚める、これほど続くと、これが当然のように錯覚されてきて、感動も次第に薄れてしまうほどの、贅沢な毎日であった。それから、どうも、これは「幸運」以上に、「暑い」んじゃないか、ということにはっきり、気付かされたのが滞在4日目、グリンデルワルトからツェルマットへの移動日のことであった。

実は猛暑だった今夏のスイス

滞在中の服装については、別に記したい(例によって、「後日、別記」ばかりなので、いつになるか、はたして日の目を見るか、自分でも自信ないが)。

4日目のこの日、「せっかく持ってきたのだから」という変にケチな考えから、ポロシャツ&短パンのそれまでのいでたちを変えて、半袖シャツとジーンズを着ることにした。ところが、これが失敗だった。ツェルマットに向かう途中、ヴィルダースヴィル駅で途中下車して、シーニゲ・プラッテに寄ったのだが、無茶苦茶に暑くなってきた。列車で2時間かかる移動、半ズボンではちょっとはしたないかな? などという変な見栄などおこさず、ずっと短パンで通すべきだった。

リッフェルベルクにて
スイスアルプスをバックにevian(=フレンチアルプス)を飲む〜リッフェルベルクにて

グリンデルワルトから日帰りもできるシーニゲ・プラッテでは、それまでのクライネ・シャイデック近郊のハイキング以上に、きれいな花も咲き乱れ、グリンデルワルトよりも満足できる地だったのだが、天気がいいどころではない、日本を出発前は「雨ならどうしよう」と不安しきりだったのと一転、予想すらしなかった「暑さ」が立ちこめてきた。

日増しに暑くなっていた。標高1034mのグリンデルワルトから、標高1620mのツェルマットへ移動して、本来なら一段階、涼しくなるはずが、太陽に600m近付いた分、逆に余計に暑くなっていた。どうもおかしいんじゃないか、ということに気付いたのは、最終日にチェックアウトを済ませてから、ホテルのエレベーターに毎日の天気予報が貼られていることにようやく、気付いてのことであった。

見ると、ツェルマット近郊は34度!になっている。この時点で、相当に日焼けしていた。真っ黒になっていた。さらに、最終日、チューリッヒ空港に向かう途中、2時間の空き時間を利用して、ここでも途中下車してチューリッヒ市内を自転車で観光したのだが、標高1600mのツェルマットで34度だったのだから、標高400mに降りてきたチューリッヒ(のよりによって、午後2時)では何度だったのだろう? 今、考えると恐ろしい。

僕は普段から走っているから、日焼けは既に充分、している方である。それでも全身、一段と赤黒くなって帰国することとなった。この間、日本が豪雨に襲われていたことを知るのは、もちろん帰りのフライトである。成田〜羽田〜山口・・・と、段々、日常に戻ってゆく中、ポロシャツ&短パンで真っ黒になってスーツケースを抱えている姿は、「どこに行ってたんだ?」というような視線が突き刺さってきた(でも僕は日灼けしやすく、かつ、落ちやすい体質なので、2、3日風呂に入れば、簡単に落ちてくれた)。

帰宅翌日、21日(金曜日)のニュースステーションでは、日本の豪雨がブロッキング高気圧によるものだということを説明していた(きこえていないが、画面を見る限り、そうらしかった)。かつ、日本に豪雨をもたらしていると同時に、パリをはじめとして、ヨーロッパ各地で、このブロッキング高気圧が猛暑を引き起こしているという映像も紹介されていた。ニューヨークでは40度を超して、死者も多勢、出ていることを、その後のニュースで知った。

スイスも猛暑だった! 訳である。以下のニュースによると、1983年以来、スイスで最も暑い7月になる・・・とか(なったんだろう)。今回のスイス旅行は、そもそも、「蒸し暑い梅雨あけ前の日本を脱して、涼しいスイスで心と身体をリフレッシュ!」のつもりでいた・・・のに。滞在7日間、天気が変わりやすく雨も降りやすいはずのアルプスの地で、連日の晴天に気をよくしていたが、異常気象のせいだったとは、素直に喜んでいいものやら、笑えるやら。



車窓から眺めるグリンデルワルトの街並み
車窓から眺めるグリンデルワルトの街並み

 

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