中世への憧れ 王の夢の城

ロマン主義の開花、王の夢の城

慣れないと舌をかみそうな「ノイシュヴァンシュタイン」とは Neu-Schwan-Stein、英語なら New-Swan-Stoneで「新しい白鳥石」。西にある「ホーエンシュヴァンガウ」は Hohen-schwan-gau「高い白鳥の里」。ノイシュヴァンシュタイン城は、少年時代をホーエンシュヴァンガウ城で過ごした王が即位後に築城した、という意味での「新」城というわけである。

イェーガーハウスの向こうに立つホーエンシュヴァンガウ城
イェーガーハウスの向こうに立つホーエンシュヴァンガウ城
マリエン橋行きバス乗り場

父マクシミリアン2世が中世の城跡に建てたホーエンシュヴァンガウは、城内に中世騎士道や伝説を題材にした壁画で満ちていたことから、ルートヴィヒ2世は中世への憧れを強くして育った。

ワーグナーの世界を王自らの手で

当時のドイツも中世賛美を特色とするロマン主義の花が開いていていた時代であり、さらにロマン主義音楽の巨匠ワーグナーに傾倒したことから、王の中世への憧れは一層、強くなっていった。ワーグナーのパトロンとして王は惜しみない援助を注いだが、ワーグナーとの共同作品としてでなく、王自身が自らの手で創り出せるものとして、中世への憧れを結晶させるべく情熱を傾けることになったのが、ノイシュヴァンシュタイン城、さらには第2、第3の築城と続くリンダーホフ城、ヘレンキームゼー城だったわけである。

シュバンガウの村とアルプゼー
シュバンガウの村とアルプゼー Alpsee

ちなみに18歳で即位した王は長身で美貌の持ち主、若くして栄光と権力をほしいままにしたが、21歳でプロイセンとの戦争にオーストリア側について敗戦。22歳でゾフィーと婚約するも10ヶ月後に解消したのは王が同性愛者だったためといわれている。築城を公布したのは翌年(23歳)のことであり、以後、独身を通す王が政治の世界以上にのめり込んだのが自分の作品としての城造りであった。

さらに2年後、25歳の時、プロイセン首相ビスマルクの策略で普仏戦争にバイエルン軍も参戦。フランスに勝利して表向きは凱旋に湧いたが、実際にはバイエルン王家の権威を利用されただけで、ビスマルクの思惑どおりにドイツ統一帝国に組み込まれた。さらには自身でなくプロイセン王を皇帝に推戴する屈辱の結果となったが、これも既に困窮していた築城資金をビスマルクが融通することを代償としてルートヴィヒ2世が承知したものといわれている。

マリエン橋から見るノイシュヴァンシュタイン城
山中道から見上げるノイシュヴァンシュタイン城

 

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