友人O君のこと 2

同窓会名簿

ヴィクトリア・ピークから見下ろす香港の夜景
ヴィクトリア・ピークから見下ろす香港の夜景
高校や大学の卒業生を対象にした、同窓会名簿というのがある。年に一度、住所・勤務先等の現況を記入するハガキが送られてきて、希望者が購入する、という業者の作成するやつである。ハガキは適当に出したり出さなかったりしていたが、今回、O君が1冊、持っているというから、彼の自宅で見せてもらった。 学部を単位として発行されている、卒業年次順の記載。五十音順に並んだクラスメイトの懐かしい名前を順に目で追ってゆくと、入学当初の、あの自己紹介集も思い出されて、当時の雰囲気がよみがえってくる。勤務先欄を見ると、皆がどこで何をしているのかがおおよそ伝わってくる。O君同様、海外駐在というのも珍しくないようで、みんな──僕とは違って──、それぞれの職場で活躍しているようである。 ところが、僕の名前がない! 「そんな、ひどい・・・」と、慌てる僕をなだめるようにO君が説明してくれる。そう、O君と僕は、学生寮の大勢よろしく、ともに留年した身であるから、次の卒業年次、つまり、一学年下の学生らの名前に交じっているのである。こんなところでもクラスメイトとは一緒になれない事実を突き付けられて、また、悲しくもなったけれど、それはともかく、こうして名簿をみると、それぞれのクラスメイトが今、どこにいるのかという具体的な現在、というものがイメージできて、思わぬ懐かしさに明るい気分になることができた。

失うもの

ところで、O君が名簿のことを持ち出したのは、クラスメイトの中の一人、K君が亡くなったことを知らせてくれようとしたからである。 実は僕には、O君同様、僕にとって大学時代の本当に数少ない、かけがえのない友人Yが別にいたのだが、その友人Yを2年前に亡くしてしまった。胸をえぐりとられるような、というのは、こういったことをいうもので、ずっと同じ時代を生きてゆけるはずだった友を失った悲しみは、この先も決して癒されそうにない。 だから、正直なところ、クラスメイトのK君の亡くなったことをきいても、僕にはYのことがまた思い出されて、一層、悲しくなっただけであった。 けれども、名簿の中にクラスで唯一人、「逝去」という二文字の記載された行があるのは、やはり、とても悲しい事実である。 K君とは在学中から特に親しいというわけでもなかった。クラスの中でも地味で目立たない存在だった。確か、難関試験を目指して勉強熱心だったという点が記憶にあるだけで、クラスメイトとはいっても、彼が何かサークル活動をしていたとか、彼と親しい友人が誰だったかも思い付かない。たぶん、クラスのみんなも同じ思いだろう。けれども、独特のキャラクターが、それだけで人を和ませてくれるような、決して悪いように思い出せないタイプだった。 便宜的な集団のクラスであったにせよ、やはり、誰かがいなくなってしまうのは悲しい。いっそ名簿から欠けてしまえば、人は気付かないで済ませられる。在学中は特に注目される存在でなかった彼が、今(そしてこの先も)、こんな形で注目されてしまうのは、皮肉なことでもある。そう考えると、つらいことであるけれど、彼のことを強く思い出すことができる意味ではよかったのかもしれない。

会えなくとも

こうして今、思うと、強い結び付きはなかったけれど、それでも、寮生活や部活動と同じように、それなくしては大学時代を語れないようなものが、クラスにはあったように思う。 O君と僕の結び付きを一層、強くさせたのが、お互い、留年した身という点にもあったが、それが余計にクラスのことを意識させた一面も一方であった。 寮には同じく留年した同期や大学院に進学した同期もいた。もちろん、先輩も後輩もいたから、相変わらず刺激には事欠かなかった。それでも、学校──かっこよくいうと、キャンパス──に出向いて、そこに知った顔のクラスメートが全くいないのは、とても寂しいものがあった。心にぽっかりと大きな穴が開いたようだった。耳の障害のことを考えると、果たして自分に就職できるのかと、それまでにない不安に襲われていたときでもあった。今でこそ言えるが、留年した最後の1年は、やはり相当に寂しく感じていたものである。それだけに、空気のように、というとおかしいが、クラスメイトというのは意識しなくても欠かせない、とても大きな存在だったのだと思う。 O君以外の、その他2、3のクラスメイトとは卒業後、少し、会ったりもしていたが、今では音信も途切れてしまった。O君がかろうじて一本残っている、細い命綱のようなものである。それでも、思い出そうとすれば、今でもやはり、このクラスメイトのことは皆、よく覚えている。 僕のこのホームページは、度々、述べているとおり、自分のとりとめもない身辺雑記が主な内容の、つまらないといえば、つまらないものである。ただ、特に、離れた友人に対しては、いい近況報告になっていると思う。そう意識してキーを叩いていることが多い(だから、逆に、身近な人に読まれるのは少し、恥ずかしい点もある)。 今回、ふと思ったのは、もしかすると、この先、当時のクラスメイトが、何かの偶然で、このホームページにたどりつくこともないとは言い切れないだろうこと。万が一の確率くらいで、ひょっとすると、あるかもしれない。アクセス数も少ない、ちっぽけなサイトでもそんな偶然を考えると愉しい。 最初に記したように、クラスという単位が絶対のものではなかった分、ゼミやサークルや学生寮での、あるいは学部、学校全体での同窓会のようなものは続いても、クラスで集まることがあるとは、この先、考えられない。それでも、会えなくとも、元気にしていることが分かると嬉しい。名前を思い出せると懐かしい。 10年ぶりの再会となった今回の旅は、はからずも当時のことを強く思い出させてくれた。そのきっかけを与えてくれたO君への感謝とともに、そして、またいつか、ふと何かを思い出せる偶然のあることを期待しながら、他にそう語る機会もないクラスのことを最後に書いてみた。

<完>

帰路、機内からの光景
敷き詰められた雲の上

 

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