友人O君のこと 1

アテンドに感謝

山口七夕ちょうちん祭り
山口七夕ちょうちん祭り

最初、香港に住むO君のことを羨ましく思えたと記したが、わずか3日間の滞在でも、ここで暮らすことの相当に大変であろうことがよく分かった。まず暑さが耐えられない。一応、四季はあるとガイドブックに記されているが、ハワイやメキシコシティなどと同緯度の、亜熱帯モンスーン気候である。

「日本はいい国だ」と繰り返すO君の言葉が、帰国するとよく分かる。どうも今年の日本の猛暑は、香港以上の暑さのようであるけれど、緑と川がある分、まだ癒されている。特に四方が緑に囲まれた盆地の、そして高い建物のない山口は、視界を遮るものが山にぶつかるまで全くといっていいほどにない。蛍の飛ぶ川も市内を緩やかに流れている。高層ビルに囲まれた都市では、意識しなくてもこのストレスは大きいだろう。この地で激務をこなしているO君の心労を思う。幸い、O君の場合、奥さんに2人のご子息という、いい家族に支えられている。今回のアテンダントに感謝申し上げるとともに、くれぐれも体調に注意してほしい。

大学時代のクラスメイト

3日間の香港滞在について、2、3書き記してみるつもりが、予定以上に長くなってしまった。最後に、お世話になったこの友人O君のことについて、少し──。

大学時代の友人であるO君とは10年ぶりの再会であった。最後に会った彼の結婚式では話らしい話もできなかったから、実質的には、その前年、彼が山口を訪れてくれて以来ということになる。

いわゆる大学の「クラスメイト」というやつで、クラスメイトに限っていえば唯一の友人である。ご存じの通り、大学というのは、理工系のような専門性の高い学部や、あるいは小さな大学でない限り、「クラス」という概念はあまり意味をもたない。僕の大学も、1つの学部が5クラスに渡る大きさで、クラスは必修の語学と体育を受けるのに単位された、五十音順のかたまりで区切られた便宜的なものに過ぎない。

とはいえ、入学式初日のオリエンテーションの行われるのが、このクラス単位である。胸膨らませてやってきた新入生にとって、皆、自分以外の全員が初めて顔を会わせる瞬間の、各自、緊張と期待の入り交じる中で自己紹介も行った間柄である。

人間、何かの集団に属していないことほど不安なものはないはずで、ヒナ鳥が最初に目にしたものを親と思うように、僕らも、最初に与えられた集団となる「クラス」は、やはり、それだけで求心力を持つものがあった。新入生だけで2千人以上の大学の中で、50人前後で構成されるクラスは、顔と名前と素性をすぐに覚えられて親しくなるのにちょうどいい大きさの単位でもあった。出身や一言、趣味などの記された自己紹介集からは、各自の性格もおおよそ、うかがうことができて、飽きずに何度も読み返した。幾人かの印象的なコメントなどは今でも記憶に残っているほどである。

学生寮の友人

仙崎花火大会
油谷選手の故郷
長門仙崎花火大会

O君と僕が親しくなったのは、僕たちが、クラスの中でただ2人、お互い同じ学生寮の寮生だったからである。そして、それゆえに、幸か不幸か、クラスの中での親しい友人が、わずかにお互い同士の1人、に終わってしまった。

今、「集団に属する」と述べたが、僕らは各自、様々な場面で色んな集団に属している。大学生でいえば、クラスに始まって、ゼミ、サークル、バイト仲間、下宿先・・・等々。特に文系学部は理工系と違って、クラスやゼミといった勉学にはそれほど熱心になりにくい向きがあったから、他のクラスメイトもそれぞれ、主にサークル活動、部活動を大学生活のベースにしていたと思う。

中でやはり、起居を共にする寮への帰属意識は桁外れに強かった。学生寮というのは、地元以外の入学者、いわば、全国各地からやって来た田舎者の集まりである。最初は相手の方言が分からず、また、自分自身の言葉も方言と知らずに、会話が通じなかったりもしたのだが、それを通り越して、あるいは、それだけに相手を知ろうという好奇心が強くて、お互いにすぐに打ち解け合えたものだ。

そして、学生寮には、独特の、そして、簡単に染まってしまう雰囲気がある。だから僕は、大学時代の決して多くはない友人が、ほとんど全員、寮関係である。

二十歳前後の数年間、若さというのは、講義の行われる昼間以上に、深夜以降にこそ、そのエネルギーが爆発的に発揮されていた。酒、麻雀、深夜ドライブ、深夜のラーメン、深夜の温泉・・・等々。そんな寮の居心地が良過ぎて、講義やサークルといった本業の方には足が遠のいてしまいやすい。僕も学生時代の思い出といったら、この学生寮で過ごした日々が一番である(・・・というには、あまりに濃密な毎日の出来事だった)のだけれど、一方で、そのせいで身を滅ぼしてしまいやすいのも事実である。刺激が強過ぎて、寮生には留年や放校が多い。

O君と僕も、最初、クラスの1回目のコンパ(──懐かしい響き・・・)が、寮の行事に重なってしまったように記憶している。そのとき欠席してしまった僕らは、2度目のコンパで、すんなり溶け込むことができない雰囲気のできつつあることを知らされた。クラスの中に、クラスを代表するような、いわゆる主流派とでもいうような一部のグループができようとしていた。それはやはり、寮生の僕らが求めずとも得られた集団への帰属意識を、クラスの中に一刻も早く得ようとしたクラスメイト達がもたらした、当然の帰結である。それで、その後、クラスを強い足場にするメンバー達とは、少し距離感があって近付けないままに終わってしまった。O君と僕とはそれぞれ、別に持った部活動の面でも学生生活を充実させることができたのだけれど、「クラスの仲間とも、もう少し、親しくなりたかったな・・・」とは、お互い、当時も今も言い合っていることである。


帰路、機内から見る夕陽
帰路、機内から見る夕陽

 

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