表意文字

カタカナ表記の二面性

国際金融センター
金融市場香港のシンボル?
~世界4位の高さという香港国際金融センター

香港の公用語は英語と広東語で、通貨から始まって、街も2つの言語が並立している。漢字を中国から学んだ日本人は、中国を訪れたとき、ある程度の意味が分かる、ということを実際に体験することができた。中国を訪れたことのある人には珍しいことではないだろうが、決して多くない僕の海外旅行経験、アジアを訪れたことは今回が初めてであったから、新鮮な面白さがあった。

日本は欧米圏の舶来言葉をカタカナにすることができる便利(同時に、不便)性を有しているけれど、中国ではそうもいかない。コンピューターを「電脳」と訳すなどが、よく知られている例だ。そうした例を多数見ることができて、街を歩いていて、看板を見るだけで飽きない。

日本でも明治時代、急激に流入してくる欧米語を当時の人々が必死に訳して今日に至っている。「演説」「会議」「文明」「競争」・・・等々、福沢諭吉ら先人の偉大な業績の数々。それから、音楽や映画でも、つい十年、二十年前まではまだ、タイトルを邦訳していた。

「駅馬車」、「哀愁」、「お熱いのがお好き」、「明日に向かって撃て!」、香港がらみでいえば「慕情」・・・等々、邦訳のタイトルにこそ味のある例は枚挙にいとまがない。こうして記してみると、時を経たとき、邦訳化された映画の方が、ブランド化するというか、価値が重くなっているように思える。近年ではそれができなくなったのがつまらない。近年の洋画、特にハリウッド系は、ほとんどが原題をカタカナ表記しただけで面白みがない、味がないとよく言われている。そういえば、2月に観た『インファナル・アフェア』も香港映画だったが、ストーリーも難解なら、今もってこのタイトルの意味が分からない。「警ドロ」よろしく、「マフィアと警察」くらいで充分だと思うのに。

これも、いわゆる"グローバリゼーション"(=「全球化」)、情報が同時に世界中に発信される時代は、訳者が邦訳するより先に、一般の人々が原題を知ってしまうから。カタカナ表記を持つ日本の利便性と不便性の両面がよく表れている。

木馬屠城、小心地滑君

それができない中国が、以前の日本のように必死で訳さざるを得ないのが面白い。例えば、今、街の映画館を賑わわせている『TROY(トロイ)』が『木馬屠城』。木馬がトロイの城を駆逐する──といったところだろうか。うなってしまうような名訳ではないか。『TROY』が『トロイ』くらいなら抵抗感はほとんどないけれど、『木馬屠城』の方が重みがあっていいね。

小心地滑君

中でも、最も面白かったのが、「小心地滑」と書かれたマーク。もちろん、これは「小心者が滑る」のではなく、「地面(路面)が滑りやすいから注意しろ」という意味なのは文言だけでもすぐに理解できる。何より、本当に「すってんころりん!」と、昔の漫画でバナナを踏んづけて滑っちゃった、というように尻餅をつきそうな絵柄が面白かった。日本もお節介な看板や標識が乱立する国であるけれど、香港も、絵柄付きのこの標識を行く先々の至る所で目にした。この「小心地滑」君、絵柄にちょっとずつ差がある色々なバージョンがあって、是非、それらをカメラに納めて帰りたかったのだが、残念ながらデジカメのバッテリー充電器を忘れて、撮れずに終わった。この旅の大きく悔いの残る点といっていいくらいに。

父の日で大入り
この日は父の日で大入り

もちろん、読めない文字(漢字)もたくさん。中で一番、困ったのがレストランでのメニュー。地名はしょうがないとして、これは悔しい、というかもどかしかった。飲茶や点心、中華料理店はどれも美味しくて大満足だったけれど、メニューは分かりそうで分からない。日本の中華料理店のメニューやレシピはやはり、日本向けにアレンジされたもの。食べものという最も身近なものを漢字にしただけのはずなのに、全く見当がつかないのが意外だ。「隣のテーブルで食べているあれ、美味しそうだな」と思ったら、店員に「あれ」と指さすしかなかった。

香港の中心で・・・

面白い偶然であるが、ちょうど僕らの旅行最終日、6月20日付けの毎日新聞「時代の風」で、国際日本文化研究センターの川勝平太氏が「漢字復権とローマ字の定着~東西文明とらえた日本」と題して論じている(*)。日本で外来語を音のまま使えるのは、日本文化の高さを示すものであり、漢字とローマ字という、文明史的にも東西文明の最高の成果を日本人がものにしたことを示している、と。

*リンクを張ろうと思ったら、以前は掲載されていた毎日新聞サイトで、今では「時代の風」の掲載だけがなくなっている。日曜日の紙面の人気あるコーナーだが、割と物議をかもすテーマ、内容の多いせいだろうか。実直さの支持できる毎日新聞であるけれど、残念な、気前よく掲載してほしい一面でもある。

それから、今の日本は『○○の中心で、××を叫ぶ』の、やたらと「中心」ばやりであるが、香港で目にした「中心」は分かりづらかった。「中心」は日本語? それとも、中国語? 日本では「真ん中」という意味の「センター」一義であるけれど、香港で「中心」と使うときは、たいてい、建物自体を表す「センター」(例えば、コンベンションセンターやカルチャーセンター)の意味で、街の中に「中心」がたくさんあふれている。そういう意味では、香港も「中心」ばやりである。何だか、それこそ世界中が中心を声高に叫んでいるようだ。川勝氏も「「中心」と置き換えられるセンターは意味がかえって分かりにくい」と述べているのに強くうなずけた。


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確信はないから、何が来るかは来てのお楽しみ

 

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