18歳の夏休み

18年前、18歳の夏

夏が夏らしくなってくると、風が想い出を連れてくる。

今年は記録的な豪雨をもたらした長い梅雨であったけれど、先週から一気に暑くなった。甲子園が開幕する本格的な夏を迎えると、僕もこれまでの夏の日の想い出がよみがえってくる。

思い出して、4年前、団体機関誌に投稿した原稿を取り出してみた。

自転車で信州ツーリング

僕は、大学時代、野球部に所属していたのだけれど、最初、少しだけサイクリングサークルというところに身を置いていた。入学当初は水泳部に入部するつもりだったのだが、入部説明会に集まった新入生や居並ぶ先輩らの、チビで貧弱な僕とはまるで違って立派な体格であるのにひるんでしまったのだ。気落ちした僕の目に飛び込んできたのが、部室棟に立てかけてあったツーリング用の自転車だった。それは、受験を終えて親元を離れた生活を始め開放的になっている僕を、さらに遠く未知の世界へ運んでくれそうなものとして強く訴えてきた。

ミヤタ
ミヤタ "ル・マン"

そこで夏休みに行ったのが信州。それまでに日帰りや一泊二日なら何度かやっていたのだけれど、本格的なツーリングはこれが初めてだった。荷物をたくさん自転車にくくりつけてのツーリスト、最近は滅多に見かけることもなくなった。数人で走るときはテントや自炊用具も分担して持つのだけれど、その時は2人でスタートしたから、とりあえずシュラフ(寝袋)のみ。

出発地の名古屋までは、自転車を分解してJRで。「輪行(りんこう)」といってバッグに入れて担ぐ。ツーリング中、大体は、ひなびた無人駅を探して、長椅子の上なんかで寝ていた。ところが、博多駅から青春18きっぷ(鈍行)で2日間かけて辿り着いた夜の名古屋駅は、当然、人の出入りが激しく寝られるような駅じゃない。おまけになぜだか浮浪者も多くて気味が悪い。困ってウロウロしていたら、声をかけられた。「昔は俺も自転車に乗っていた」と、その夜はその人がアパートに泊めてくれた。そういったことから、本当によく覚えている。

それからは、どんどん北上してゆく。「木曽路はすべて山の中である」というくらいだから、ひたすら坂道の連続。バイク野郎はお互いにすれ違う時、Vサインするのだが、それをチャリンコで必死に駆け上がっている僕らにも追い抜きざまやってくれる。「チッキショー!」と心の中で叫んでいた。

そりゃあ、高速で突っ走るバイクの醍醐味もあろうけれど、「俺達のガソリンはポカリスエット。この旨さは汗をかいたものでなきゃ分かんねえだろ」という気持ちは、決して負け惜しみなんかじゃなく、ペダルを漕ぐことだけに若きエネルギーの全てを注ぎ込んだ。今でも僕は自転車野郎を応援する。

日没後、暗くなる8時頃にはもう寝て、朝早く日の出とともに出発する健康的な日々。山高き夏の朝のすがすがしい空気の中を走るのが爽快な毎日だった。

乗鞍岳を駆け上がり

信州の主なところには寄ってまわった。

乗鞍岳の頂上までの道は一度も止まらず休まず、一気に駆け上がった。ちっぽけな、でも18歳の心に刻まれた大きな達成感。

美ヶ原で身を休め

美ヶ原──

登リツキテフト眼ヲ開ケレバ ソノ一瞬 世界ノ天井ガ抜ケタカト思フ

と詩われた、信州には珍しく平らな高原。ここでちょうど夕方になって、さて今日の寝ぐらは・・・と探すも、いい場所がない。ここでは、もう一緒にスタートした友人とは別行動になって一人だった。名高い観光地だから、立派なホテルがたくさん並んでいる分、余計に、雨露をしのげて野宿でき るような、ちょっとしたスペースというのがない。

美ヶ原~美しの塔と夕陽
美ヶ原~美しの塔と夕陽

引き返すことも先に進む勇気もなく、仕方ないから、美ヶ原のシンボルの『美しの塔』の中で寝てしまった。こんなバカはいないよなぁ、と思ったら、やっぱりここで一夜を明かしたツーリング野郎の落書きが塔の中に残っていた。美しい観光地での非常識な行動は今思うと、赤面反省ものだ。夜中にカップルが歩いてやって来てたらびっくりしただろうな。でも、ここで見た夕陽と朝日は最高にきれいだった。写真というより、イメージ全体を身体で覚えてるってこともある。

上高地でこけて

それから、上高地での出来事。環境保護目的と狭い山道ゆえ渋滞になるのとで、上高地はバス、タクシー以外の車の乗り入れが禁止されている。この上高地に入る手前の関所として有名なのが暗く長い「釜トンネル」。

車一台がやっと通れる狭さの片側交互通行で、待ち時間がとても長い。タクシー運転手のおっちゃん達は車を降りて一服している。長い赤信号を待っていると、僕には「兄ちゃんはもう、行ってもええや」って言う。トンネルが長い分、向こうの最後の車が通過しきった後もなお、両方の信号が赤になっている待ち時間を知っているというわけ。それで僕だけ先に行かせてもらう。

確かにトンネルの中には車はもういないんだけど、灯りは全くなく、真っ暗で何も見えない。上も横も岩がむき出しの、トンネルというより坑道に近い。路面も舗装されておらず、石だらけでゴツゴツ。湧き水というか、滴もしたたり落ちてきて内部はしっとり濡れ、苔でも生えているかのようにぬるぬるとしていて細い自転車の車輪は簡単にとられる。

上高地・梓川
上高地・梓川

それで、不覚にもこけてしまった! 痛いと言っている場合ではない。車が走っていたら間違いなくひき殺されていたろう、そう思ってゾッとした。冷や汗でびっしょりになりながら、半分泣きながら必死でトンネルをくぐり抜けた、それも強烈な思い出。

最後に富士山

行く先々でこんなことがたくさん。その時の部の1年の7人くらいが別々のルートで信州をめぐっていて、最後は富士山でおち会い、皆で登ろうと約束していた。行路中は出会ったりもしたけれど、皆も予期せぬアクシデント続きで予定どおりにはいかなかったろう、結局、集まれなかった。

富士吉田駅の黒板には──昔は駅に必ず伝言用の黒板があったものだ──、「2日待った、一人で行く。村尾」という仲間の伝言があったから、「8/1 同じく。金子」と残して僕も一人で登った。本当はサイクリング部たるもの、道路のある5合目までは自転車で登って当然なのだけれど(皆はそうしたらしいけれど)、このときはもう、傷だらけでヘトヘトのヘナヘナだったから、一人だったのを幸いに バスで行ってしまった! ことを、ここでこっそり打ち明けよう。

「いつかまた・・・」はなくても

こうして約2週間かけて信濃路を一周し、静岡駅でゴール。峠を越えて下り坂を走るときには、バイク野郎には出来ない両手を上げてのガッツボーズをしてずっと、風を浴びた(今思うと、釜トンネルよりも無茶で無謀な真似だ)。3年前、スキーツアーで霧ヶ峰のヴィーナスラインを通った時、「あれ、こんなだったかな?」と通ったはずの記憶と全然違っている。その時は、雪で真っ白だったから。

前回のI君の投稿と今回のテーマとに触発されて、しばらくしまい込んでいた想い出の箱を開けてしまったという感じ。思い出の地を分けるとすると、もう一度また訪れてみたいという場所と、僕にはここがそうなのだけれど、できればもう、想い出のままにそっと残しておいてもいいなと思えるものがある。

18回目の夏の日を、一人の少年が駆け抜けたもう随分昔の出来事である。


ニッコウキスゲ咲くヴィーナスライン
ニッコウキスゲ咲くヴィーナスライン

元原稿1999-07;加筆修正2003-08-09;移行再掲2007-07-28


 

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