講演「デフリンピック出場とランナー人生」

手話サークル交流会で講演

この土曜日は依頼されて講演を行ってきた。山口県手話サークル連絡協議会が週末2日間にわたって実施する県手連サークル交流会1日目のプログラムとしてである。

昨年末に出場壮行会を開いてくれた綾城さんからは、帰国直後の成田でメールがきたほど、早い時期から出場報告会の依頼を受けていた。2月、4月・・・とその都度、別のレースがあったり、当然ながら僕の方は積極的に引き受けたいものではないし、で、延び延びになっていたものである。

僕も受け手(聞き手)の求めているものがはっきりしているものなら話しやすい、それなりに経験はあるつもりだが、何分、今回は県下手話サークル会員の集まる場で、僕の話が役に立つものとは思えなかった。手話を学んでいる人たちとマラソンとに共通の話題は見出せなかった。それだけに苦労した。恐縮しつつであったが、それでも僕の話を最後まできいてもらって、ひとまずは安堵している。お世辞と分かっていても、良かったと言ってもらえる人が一人でもいると、少し、肩の荷が下りた。罪を免れたような気持ちにしてくれる。

時々、間違えて? 僕にもこうした依頼があるのだが、こうした講演も要は慣れとコツである。きっと、もう一度、やるならだいぶ違うだろう、どんなところで受け手が反応するのかも分かるだろうと思う。けれども、僕としては、とりあえず「走る」ことについての話題で、「次はうまく話そう」という気持ちにはならない。やはり、現役ランナーが講演などするものではない、と身にしみた。ランナーは走っている姿こそ全てであり、それで充分なのである。デフリンピック出場前後の取材でも感じたが、取材や講演時の緊張(大汗)に比べると、野外で走ることの何と自分らしい、身体の自由を取り戻せることか! 私の中学校でも、と頼まれたMさん、ご勘弁ください。

ちなみに、会場のセミナーパークを利用して、簡単なランニング教室も行った(これも僕が話だけでは2時間も3時間も到底、持たないと申し出たからの苦肉の策で企画されたものである)。「手話」交流会でランニング教室・・・と、どんどん、目的とは遠ざかってゆくのだが、でも、ここでも予想外に付き合ってくれた人が多くて結構、嬉しかった。

一参加者として愉しめたこと

ちなみに、僕は講演とその後の懇親会で退席させてもらったが、交流会のプログラムを紹介すると、2日目の日曜に「聴覚障害者の災害時支援」と題されて、新潟県手話サークル連絡協議会会長を招待しての講演が用意されていた。続いて、3グループに分かれての分科会。それぞれ、(1)「災害時に手話サークルとして何ができるか?」、(2)「魅力ある手話」、(3)「手話サークル活動について」でディスカッションを行い、そして全体会での分科会発表となっている。僕の講演が真打ちを前にした前座、であることが分かってもらえよう。それから、手話、といっても組織は色々あって、同日、隣の情報センターでは全通研(全国手話通訳問題研究会)山口支部の定例会もなされていた。両方をはしごされる方も多かったはずで、県下各地の手話サークルの会員の方々が交流を深めつつ、色んな場で有意義な研鑽を続けておられることにあらためて敬意を示したい。

それはさておき、講演後の懇親会では僕も一参加者として、大いに交流を楽しませてもらった。特に今回は、いつもこうした集会が県央部で開催されるとき、遠方ゆえにどうしても参加の少なくなりがちな岩国サークルからも非常に多くの参加があって、僕も以前、初めて手話を学んだ地が岩国のサークル(四ツ葉会)だっただけに、懐かしい話ができて大いに愉快だった。

聾ランナーS君を知る

Loreto college

それから、かねてより噂を聞いていた、同じく聾ランナーのS君とも親交を深めることができたのも大きな収穫であった。デフリンピック出場の記事が掲載されて以後、僕に興味を寄せてくれていたらしい。その後、3月のろうあ者大会では話の時間がなかったものの、今回、ようやく初めて顔を合わることができ、懇親会で大いに話が弾んだ。

話してみるとS君、僕の予想を大いに上回って、彼のことを知らずにいた僕が失礼だったが、かつて非常に速いランナーだったよう。5千m専門で練習していたらしく、日本聾者記録を大幅に上回る、市民ランナーならごく一握りのトップレベルの自己ベストを持っている。かつて、というのは若い頃で、その後のケガで身を引いたのだという。僕より2歳下のS君、在学時に陸上経験なく、どうしてそれほどのレベルにまで速くなったのか? 学校卒業で陸上をやめるというケースは多いけれど、その逆で社会人になってから一体、どこで練習したのか? など、僕の方が彼に対して大いに関心を持つに至った。

話が大いに進んだのは、彼が指導を受けたという人の名をきいて、僕も納得したからである。広島県大竹市のIさん。中国山口駅伝に初出場したとき、偶然、同じ区間だったことで僕が初めて知った、そして非常に有名な方であることを知って驚いた、と完走記で記した(*1)方である。そして、先月の二鹿しゃくなげマラソンで僕がナンバーカード1だったのは、広島県ランナーである昨年の1位2位が今年は申し込んでいなかったからと記した(*2)が、その1位がIさんの息子さん(はもちろん知っていた)、2位もIさんの門下だったという。あの地域で非常に有名な親子のIさん家族の指導を受ければ、それは速くなるだろうな、と大いに納得できた。


その指導者の良さがあるにしても、それについていった彼の努力、熱意もまた見事なものである。来年3月に合併で岩国市になる、同じ岩国圏域とはいえ、彼の住む周東町から隣県の大竹市まで通うとなると、結構な距離と時間がかかる。2歳上の僕もちょうどその頃、岩国で働いていたのだが、もちろんまだ走ることもなく、ソフトや野球に夢中で(といっても走ることとは全然、レベルが違う)、あるいはスキーにテニス、週末は広島方面へドライブ、といった具合に学生時代の延長気分が抜けきらずにちゃらんぽらんに遊んでいた頃である。一方のS君が当時、20歳ちょっと過ぎの遊びたい盛りの年で、苦しい陸上の練習に打ち込んでいたのだな、と思って、僕は少なからぬ衝撃を受けた。

彼も今また、走り始めている。昨年12月の萩、今年4月の大原湖でも出場していたことを知る。徐々に力を取り戻してゆけば、元々のスピードはものすごいものを持っているから、故障後のブランクを埋めてゆけるのも早いだろう。僕も県内に新たな戦友ができて嬉しい。

故障中だが

ただ、実は僕の方が今、故障中。交流会当日もセミナーパークではランナーズ山口の方達が合宿されていたのだが、例年なら僕も身体の良く動くこの時期、気持ちよく走っているところが今年は全然ダメ。大原湖、二鹿でも記したが、故障がしつこい。1ヶ月、2ヶ月経つも完治しない。2週間、全く走らないでも痛みが取れない。体調不十分で臨んだデフリンピックで受けたダメージの大きかったこと。その後も完治せぬまま中途半端にレースに出て決定的にこじらせたことのツケを今、味わわされている。

デフリンピックからもう5ヶ月──。全てをデフリンピックのせいにしてはいけないが、季節の反対側の国で走ることは、ちょうど来月、日本でフルマラソンを走るようなコンディションである。昨日、東京ではロードレース中に24人が熱中症で病院に運ばれた、5人が重症になったというが、10kmのレースでさえそうなのだから、厳寒の日本から一転、まだ身体も慣れない(暑熱順化できていない)ままフルマラソン走ったことの怖さを今更ながらに思い知らされている。

まだしばらく僕は時間がかかりそうである。もしかすると今年はちょっと抑え気味になるかもしれない。1ヶ月、2ヶ月経って治らないものは、半年経ってもしっくりこないだろうなと今では予想できるようになった。

そういう意味では、皮肉なことだが、「デフリンピック出場とランナー人生」という今回の講演は、僕にとっても本当に考えさせられる大きな契機にはなっている。ともあれ、ランナーは講演より走る姿。そのためにも、早く治さなければ。


 

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