取材あれこれ 1

恥を忍んで

University of Ballarat
University of Ballarat

もう随分、経ってしまったが、もう二、三書き残しておくとすると──。

前回イタリア大会出場者の真人さんからアドバイスしてもらっていたとおり、今回のデフリンピック出場にあたって出発前、そして帰国後のそれぞれ、マスコミ(新聞社)の取材を受けた。

出発前は県庁内で行われた山口県障害者スポーツ協会による激励会。「ブログ開設まで2」で述べたとおり、ごく簡単なものと思っていたら、新聞社に加えてTV局まで来ていたのに大いに慌てた。万が一を思ってスーツを着ていてよかったけれど、TVに映るなら、また新聞に写真が載るなら、もっといいスーツ&ネクタイで行きたかった・・・。

このときの激励会では中国、山口、朝日新聞の3紙に、そして、帰国後にはサンデー山口、朝日、中国の順で掲載していただけた。取材を受けるのは光栄なことだとは思うけれど、やはり、恥ずかしさも大きい。片隅の記事ではなく、全紙とも写真付きの、かなり大きなスペースを割かれての掲載だったから余計に。でも、これだけ出ると恥ずかしさも通り越してしまった。

出発前はともかく、メダルを獲得できずに入賞で終わった帰国後は、新聞で取り上げられる成績ではないと思っていたから、取材は意外だった。特に記録(タイム)は散々で、「こんなひどいタイムだったのか!」と酷評され、冷笑されてもおかしくないところだった。メダルを獲れて帰れたならともかく、自分でも不本意な結果だったから、喜んで取材に応じた・・・という訳にはゆかず、ためらいと抵抗があった。でも、これも代表選手としての責任の一つであろうし、県内では特に全く知られていなかっただろうデフリンピックの存在や、聴覚障害(者)への理解、関心が少しでも広まるなら、と思って恥を忍んだ。

僕の憂慮とは逆に、出発前も帰国後も、新聞社の記者の方にはどれも非常に好意的に書いていただけた。おかげでいくつかの反響もあった。特に同障者からの反響は大きかった。僕もそうだが、何でもいいから聴覚障害に関連した記事が新聞等に載ると嬉しい。結果以上に、「新聞に載った」ことを仲間は喜んでくれた。好意的に取り上げていただけたことに、本当に感謝している。

記者の方について

Ballarat college
Ballarat college

出発前、帰国後のいずれも取り上げていただいた朝日新聞、中国新聞の記者さんとは特にじっくり話す機会を与えられた。それぞれ、ともに若い記者さんなのだが、さすがはプロの記者で、矢継ぎ早に色んな問いかけをして、面白いように相手(僕)から核心に迫る話を引き出してゆく。筆談しながらの、その巧みな話術に感心させられた。そして、見事な記事に仕立て上げていただけた。

帰国後の取材時にきかされたのだが、実は、お二人とも、僕のホームページを見つけておられた。気付かれていた。相変わらず恥ずかしい。取材を受ける時点で、ホームページでの僕の赤裸々(?)な姿を既に知られているとなると尚更である。

だから、というわけではないが、お二人についてここで触れても失礼ではないと思い、書かせていただくと――

朝日新聞の吉野記者さん。頭の回転の速い人で次々にたずねられる。ご自身が高校時代、陸上部だったそうで、専門的な突っ込んだ話ができた。僕も話しやすかった。

自分のホームページを読まれる恥ずかしさはこれからも変わらないだろうけれど、意外な縁をもたらしてくれることもまた事実である。

僕が初めてマラソンを走ったのは29歳の時。30代を直前に控えた記念のつもりで、その舞台に選んだのが大分県竹田市の岡の里名水マラソン。小さな町の非常にローカルな大会だが、このホームページにも時々登場する、僕の友人Aの故郷で、雄大な久住山系に囲まれた、まさに山紫水明の地。僕もお気に入りの場所である。完走記にも掲載していたら、実は、吉野記者がこの地の出身なのだという。

さらに奇遇なのは、僕が竹田を訪れた1997年3月のその時に、他でもない吉野さんが高校を卒業されたことになる。マラソン前日の3月1日土曜日は市内の高校で卒業式が行われていた、と、僕も完走記で書いている。そうすると、その日、吉野さんも一人の卒業生だったことになる。吉野さんの卒業翌日に僕がそこで初マラソンに挑戦し、8年後のデフリンピックで、これもマラソンが縁で今度は山口で取材を受ける。面白い縁である。8年前のメモがそれだけで終わらなかった不思議な完走記。取材同様、ホームページも恥を忍びつつ続けていると、時々、こうした出会いがあって嬉しい。書いておくものである。

中国新聞の永山記者さん。以前、mamoさんがブログで述べているとおり、中国新聞の駅伝にかける情熱はすごい。中国山口駅伝の山口県勢を担当されたのが他でもない永山さんであり、永山さんとも専門的な話ができた(僕も本当は中国山口駅伝で元気な走りを見せたかったのだが・・・)。

情熱の一片を紹介すると、出発前、激励会の内容を記事にするとき、永山さんはわざわざ、激励会後にあらためて「仕事が終わった後でいいから走っているときの写真が撮りたい」と申し出られた。僕の方は何の支障もないことだが、記者の方からすれば、二度手間になるのに、である。おかげで中国新聞には、カメラを前に固まっている激励会時の写真ではなく、走っている(時の方がずっとリラックスしていて僕自身も嬉しかった)写真を掲載していただいた。戸外の方が話もしやすく、この時点で永山さんには親しみを覚えた。


 

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