スティーブ・モネゲッティ〜豪州で最も愛されたアスリート〜

バララットでモネゲッティを知る

Steve Moneghetti Track
Steve Moneghetti Track

今回、たいした観光はできなかったが、日常生活を離れる海外旅行ならではの面白い気付きや発見は、滞在中、いくつかあった。

中で、最も嬉しかったのは、スティーブ・モネゲッティ氏を知ったことである。 マラソン翌日に、再々度、バララットを訪れたことは、ブログ中の 「みたびバララートへ」 で述べた。マラソンコースを歩いていたら、市民の散歩やジョギングに利用されているウェンドリー湖の縁の小道が「スティーブ・モネゲッティ・トラック」と名付けられていることを知ったのである。

実は僕は、このときまでスティーブ・モネゲッティなる選手のことを全く知らなかった。そのとき、歩いていたら偶然に「スティーブ・モネゲッティ・トラック」という石碑にぶつかったのである。日本でも海外でも、観光地に建てられている史跡の説明といった具合の、控えめな看板のようなものである。普通なら素通りしてしまう類のものである。このときは前日にレースを終えた安堵感と、一人でやって来ていた心の余裕があったから、立ち止まることができた。

この石碑にはこう記されている――。

I was born and lived just 900 metres from the lake for 27years and have always felt a special attachment to it.
It is symbolic of what Ballarat represents --history,environment,community spirit and of course sport.
Lake Wendouree is my running home.


Steve Moneghetti,2004

拙い僕の英語力で訳してみると――

私は湖から900mの場所で生まれ、27年間を過ごしてきた。
湖にはいつも特別な愛着を感じてきた。
湖はバララットのシンボルとして、歴史や環境やコミュニティー・スピリットを表章している。そして、もちろんスポーツも。
ウェンドリー湖は私のランニングの原点である。


2004年 スティーブ・モネゲッティ

Lake Wendouree
Lake Wendouree

これを読んだ限りでは、単にバララット出身の誰かがウェンドリー湖を愛し、ここでジョギングし続けたのだろうくらいにしか思えなかった。2004年と彫られている石碑自体は新しかったが、碑ができるくらいだから、もう亡くなられた方か、存命していてもおじいちゃんくらいだろうとしか想像できなかった。ところが、少し先の、START/FINISH地点に今度はモネゲッティ氏についての活躍が説明されている。ここで初めて、つい近年まで現役で活躍していた、ものすごい選手らしいことが分かった。ホテルに帰ってネットで調べて、あらためてびっくりした。ようやく自分の無知に気付き、 「いくつかの追記」 に記した次第である。

「マラソンを走っていて、今回、デフリンピックという聾者五輪の日本代表選手として、他でもないオーストラリアに派遣されて、お前、モネゲッティを知らなかったのか!」とあきれられそうだが、陸上競技、ランニング事情に僕はとんと疎い。

海外の選手は特に知らない。ワイナイナくらいの名前は少し分かっても、大体が外人は全部、同じ顔に見えてしまう。大会でいえば、初マラソンを2時間51分で走っておきながら、サブ3の記録があれば郷里の防府読売マラソンを走れることをその後、数年知らないままだったとか、今度は、初めて走った防府読売が2時間40分台で、40分を切れば別大の出場資格だったことをしばらくして気付いたとか、とにかく知らないことが多かった。日本マラソンの歴史を語る上で欠かせない山田敬蔵さんとボストンマラソンツアーで一緒だったにもかかわらず、帰国するまで全く知らずにいた・・・等々、僕の無知は今に始まったことではない(とどめを知らない?)。

豪州で最も愛されたアスリート

でも、無知なればこそ、気付いたとき、知ったときの喜びは大きい。これもまさにバララットの観光名所の一つ、ユーリイカセンターの「我、発見せり!」いったところで、心躍る気分になれる。何より、当地で知ることができたのが非常に嬉しい。

あらためて、スティーブ・モネゲッティについて説明してみると――

  • 1962年9月26日生まれ
  • ソウル大会からバルセロナ、アトランタ、シドニーと連続4回の五輪マラソン出場
  • 1986年24才でマラソンデビュー(英連邦大会・銀メダル)
  • 1987年世界選手権4位
  • 1988年ソウル・オリンピック5位
  • 1990年ベルリン優勝(自己最高2時間08分16秒)
  • 1993年東京国際マラソン2位
  • 1994年東京国際マラソン優勝(2時間08分55秒)
  • 1995年世界陸上8位
  • 1996年アトランタ・オリンピック7位
  • 1997年世界陸上(アテネ)銅メダル
  • 2000年シドニーオリンピック10位(22回目のフルマラソン)

僕が評するまでもなく、素晴らしい長命ランナーである。そして輝かしい戦績の数々である。年をとっても走り続けるだけなら、各自のレベルでそれなりに可能だけれど、これほど第一線のレベルで長きにわたって活躍した、そしてレースの都度、安定した結果を残した選手は稀有であろう。

祖国で迎えた2000年のシドニーオリンピックがラストランのはずだったにもかかわらず、2003年のびわ湖毎日マラソンでは、30kmまでのペースメーカーの役を務めたという。実に40歳で世界のトップランナー達を引っ張っる走力、・・・恐るべし。

また、実績だけでなく、家庭や社会を愛す、気取りのない人柄が「豪州で最も愛されたアスリート」と称されているのだという。オーストラリアに限らず、マラソン好きの日本で、また他国で、きっと世界中にファンは多いだろう。

Ballarat
バララット・スナップ

自分と同じ世代でありながら、この素晴らしいランナーを全く知らずにいたのが恥ずかしい。また、現役時の走りを見れなかった(もちろん、オリンピックや東京国際、びわ湖といったレースをTV観戦していて画面には映っていた、その都度、紹介されていたのだろうけれど・・・)のは残念なことこの上ないが、遅ればせながら僕も一気にファンになった。僕の周囲には、僕より年上で、なおかつ、走力でも勝っている先輩ランナーが多い。そうした方を尊敬するように、このモネゲッティを知って、僕はまた、大いに力付けられた。

ウェンドリー湖周辺に設定されたマラソンコースがこれまで経験したことなく非常に美しいものだったこと、このバララットという町が僕はメルボルン以上に非常に気に入ったこと、そして、ここで、無知なるがゆえに、モネゲッティを知るに至ったこと――。今回の僕のデフリンピック出場、メルボルン滞在中で一番、印象に残る出来事である。

デフリンピックとバララットとモネゲッティ──僕の上で縁あって結び付いてくれた、というと言い過ぎだが、非常に嬉しい気持ちで今、振り返ることができている。


 

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