いよいよ明日

1/13(木)  マラソンを残して陸上競技終了

yarra river
ヤラ川

いつものように、朝食後、オリンピックパークに向かう。昨日までと違うのは、今日は練習でなく、明日のマラソンエントリーリストを見たいと思っての散歩を兼ねて。しかしながら、明日のマラソンを残して昨日でトラック&フィールド競技は全て終了したため、オリンピックパークも正面通路はクローズドされている。通用口から入るも、リストは見られず、競技場そのものも昨日までに使用され続けた各種用具の撤収が始まっていた。

街も昨日から、全豪オープンのビラ配布が忙しくなったり、メルボルンの顔、フリンダース駅に掲げられている縦断幕がデフリンピックのそれから、1月26日のAustraia Dayに代っていたり、とデフリンピックの宴がもうすぐ終わるのだなあ、と実感させられる。毎日、気持ちよく歩いて通った、また、走ったヤラ川沿いも今日で終わりだ。

いよいよ明日。男子マラソンのエントリーにはやはり、1万mのほとんどの選手が名を連ねている。1万m30分台、5千m15分前後のスピードランナー。マラソン界そのものが年々スピード化しているように、デフリンピックも前回大会の4年前より間違いなく数段にレベルアップしている。これにケニアの選手が、マラソンに限っては最大5名エントリーできる枠をフルに使って5名出場してくる。半端でない厳しさになりそうだ。


男子選手の厳しさ

女子の活躍に押されて振るわない日本チームの男子勢だが、他競技も僕の置かれた立場と同じようだ。日本選手団102名は、毎日、顔をあわせるといっても、皆、まずは自分の競技種目に懸命であるから、これまでそう親しくなるには至っていない。山口県から唯一の選出である僕は、今回以前に選手団の中で知っていたのは陸上の飯村監督と泉さんくらい。特に、若い選手団らとは顔をあわせてもやはり、ジェネレーション・ギャップがあると思う。若い選手からすると、僕のような中年に近い選手には関心がないようだ。もっとも、これは、僕が50~60代のボウリング選手らに対するのと同じこと。

Australia Day 2005
Australia Day 2005

だからこそ、というべきか、数は非常に少ないものの、自分と同世代の30代後半から40代前半の選手、スタッフらとだけは、顔をあわせるだけでもお互いの心境が通じるようだ。男子選手の置かれたつらさを分け合うというのではないけれど、「何とかしたいんだけれど、どうともできないでいる」という悔しさ、哀切感がひしひしと伝わってくる。過去大会に出場してきた、あるいはこれまでを知っているスタッフらとちょっと話してみても、やはり、男子は非常に厳しいレベルのようだ。僕も2日前にはメダルを獲って帰らねばと、大きなことをいったけれど、ヘタをするとビリにもなりかねない。

「厳しいけれど、メダルはほしい。ほしいけれど、極めて厳しい」状況で明日を迎える。



閑話休題

役員団の中では、全日ろう連事務局長の大杉豊さんや、通訳の山口千春さんらとも親しくお話させていただいている。大杉さんは8年前のデフツアー当時、訪問したロチェスターの大学院で勉強されていた方。ASL、国際手話に通じていて現地ろう者の手話を僕らに通訳してくれたり、また講演してくれたり、とその素晴らしい手話に目を見張ったことを強く覚えている。

山口さんはNHKの手話ニュースキャスターの方で、その手話表現が僕の最も好きな部類の一人である。TVで見るのと同様の、また、TVで見る以上に日常会話ではソフトな方である。大杉さんや山口さんといった僕には別世界的な人と話せるという点でも、今回のツアーは非常に光栄なことで、これも嬉しい。


 

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