ユダヤ人、マイノリティがアイデンティティを求める苦悩

ヨーロッパ最大のユダヤ人街

プラハの街がただの明るい観光地にとどまらないのは、ユダヤ人がチェコの歴史に深く関わっている重みを有しているから。

ネオロマネスク・儀式の家
ヨゼホフに残るネオロマネスク
儀式の家(Obřadiní síň)

ユダヤ人はチェコという国家の成立と同時代に既に住んでいた。ヨーロッパの十字路として交易の中継地であったプラハがやがてヨーロッパ最大のユダヤ人街(ゲットー)へと発展していったのは、他国に比べると比較的安全に暮らせる地であったため。何度も追放や隔離といった迫害の目にあいながらも時の君主によっては保護を受けて他国にない居住地域をつくってきた。特に18世紀後半の啓蒙君主、ヨーゼフ2世の改革によりユダヤ人の地位が改善されたことから、現在、残るユダヤ人地区は彼を称えてヨゼホフ(Josefov)と呼ばれている。

迫害の歴史に残るシナゴーグ、ポグロムの証

ダビデの星
ユダヤの象徴、ダビデの星とヘブライ文字

その後もユダヤ人の身に降りかかる歴史は激動をきわめる。19世紀にはユダヤ人の市民的同権化が認められるものの、19世紀末から20世紀にかけてはいくつかのシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝堂)、市庁舎、墓地だけをかろうじて残し、衛生化措置と呼ばれる街の破壊がなされた。さらには本質的な差別感情に基づく反ユダヤ主義がヨーロッパ中で高まりを見せる。

こうした中での1918年チェコスロヴァキア共和国成立は、世界で初めてユダヤ人を一つの民族として認めた国家として画期的な出来事であった。ドイツで反ユダヤ主義が高まるとプラハが亡命者達の拠点となった一時期もあったが、ナチスの支配はチェコにも及んでゆく。旧ユダヤ人墓地のピンカスシナゴーグの内壁には強制収容所で大量虐殺にあった77,297人のユダヤ人の名前が書き連ねられている他、ポグロム(ユダヤ人虐殺)の証がいくつかの建物に残っている。

ダビデの星
旧ユダヤ人墓地(Starý Židovský Hřbitov)

旧ユダヤ人墓地には15~18世紀に積まれた1万2千もの墓石が雑然と並ぶ。キリスト教の美しい墓地と違い、花もなく、棺桶の使用もないただの石が群がっている。敷地が足りず、新たな死者を埋葬するための土の層が次々と重ねられてゆき、十二もの層ができたといわれる。


聾者に通じるマイノリティの思い

隔離、迫害、差別を受けてきたユダヤ人の境遇を思うとき、我が身の聾というマイノリティゆえに通じる点をも感じ取らざるを得ない。

迫害や収容所送りほどでなくとも、隔離や差別といった周囲の感情、また、当事者のそれに対処する防御意識やアイデンティティを求める苦悩について。

先にチェコスロヴァキア共和国は、ユダヤ人を一つの民族として世界で初めて認めた国家であったと記した。聾者も手話をひとつの確立した言語として独自の文化を持つという意識が強い。マイノリティゆえの苦悩は自らの存在を必要以上に主張する特徴を生むけれど、一方でマジョリティに同化する方を採る(採らされる)傾向をも同時にもたらす。その両者の合間を揺れ動く思い。

迫害の歴史の中でイディッシュ語(ドイツ語を元にしたユダヤ人共同体の中で形成されてきた言語)を捨ててドイツ語を用いるようになったユダヤ人。ユダヤ教を捨ててキリスト教に改宗したユダヤ人。こうしたチェコ人社会やドイツ人への「同化」という道を選択するユダヤ人が増えていた。その一方で、自らのユダヤ性にこだわり続けた人々も。

いずれにせよ、多数派が占める社会の中で独自性を貫くことは難しく、同化もしきれず、と社会に完全に収まりきれない不安定な存在であることは間違いない。差別や偏見も完全にはなくならず、根強く残っている。

ユダヤ人地区のはずれで生まれ、ドイツ人に同化したユダヤ人、フランツ・カフカ。今、ユダヤ人墓地に眠る彼の作品には自分の存在の不確かさを見つめ、色濃く落ちる不安の影を見出すことができる。作品が世に認められたのは死後であり、チェコという国家の作家として認められたのもつい最近の、彼は生涯を閉じるまでどんな思いを抱えて生きていたのだろう。


 

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