「黄金」好きプラハ

「黄金」好きプラハ

Zlate Studny
Zlaté Studny

ホテルの名は「黄金の井戸の家(Zlaté Studny)」。二度目のプラハ入り日にこの宿を探していたとき、最初にあたったのは近くの「ウ・ズラテーホ・ティグラ(黄金の虎 U Zlatého Tygra)」。先に手配しようとしてできなかったチェスキー・クルムロフの宿は「ズラティー・エンジェル(Zlatý Andél 黄金の天使)」であった。

前回、紹介したカフェは「金のヘビ(Zlatého Hada」。プラハ城内、カフカが一時、仕事場として使ったと紹介したのが「黄金小路(Zlatá ulička)」。こんなふうに、プラハにはホテルをはじめとして、通りや建物や・・・のありとあらゆるものに「黄金の」が冠されている。

ZLATE
ウェハース好きチェコ、ZLATÉ

チェコの美味しい菓子(ワッフル、ウェハース)の最も代表的な商品名も「ZLATÉ」と、そのものずばり。ちなみに、日本のウェハースのようにサクッという感じにとどまらず、しっとりとした食感があって、ちょっと形容しにくい程の美味しさ! ビールにひけをとらないくらいにチェコを代表する「食」といえそう。お土産としても喜ばれること請け合い。ただ、空港には土産用の高いものしかないので、市中のスーパーで普通の商品(50円前後)を大量に買い占めたい。

Opavia-LU, a. s.

プラハにとどまらず、チェコ全土といっていいかもしれない。「黄金の木」「黄金の秤」「黄金の杯」・・・と枚挙にいとまがないほどの「黄金好きプラハ」。黄金の街・プラハ。「それにしても、なぜ「黄金」なのだろう?」と不思議に思っていた。

Zlateho Hada
ホテル前のカフェ「金のヘビ」
Zlatého Hada

プラハが空前の繁栄を見せたカレル時代(在位1346-1378)に「黄金のプラハ」と呼ばれるようになったが、これに続き、いったんは首都の地位を失ったプラハを再び神聖ローマ帝国の首都として栄光を高めたのがルドルフ(在位1576-1611)。「黄金」修飾が広まったのも、このルドルフ2世時代に流行した表現に由来するようだ。

カレル時代に、城門の屋根を被う「金」は遠方からもよく見える灯台として機能し、同時に街の豊かさと光栄を誇示するように輝いていた。「黄金」というこの言葉の利用が一種のまじないのように広がり、すべての道がカレル橋の上の夜の沈黙にまでその刻印を残すミダースのお触れから免れなかったという。

さらにまた今回、こうしてチェコ語を表記して気付くのは、日本語では「黄金の」という一遍の言い方が、チェコ語では

  • Zlaté
  • Zlatá
  • Zlatého
  • Zlatý
  • Zlatých

・・・と表記が多岐に変化していること。チェコ語についてまでは突っ込んでいないけれど、こちらも学べば面白さそうだ。

紋章が示すロマンティックな住居表示

羊も
家正面の紋章が住所だった頃の名残
マラー・ストラナ(小地区)

それではもうひとつ、「黄金の」で修飾される語句の方。「蛇」、「虎」、「泉」、「天使」、「盃」・・・これらは何を意味しているのか?

前々回、「王の道」で記したように、プラハの街には地区名と通りを示す赤いプレートの標識が掲げられている。「登録番号」と呼ばれるこれとは別にもう一方、青いプレートに数字で示されているのが「家屋番号」。

これは1770年に始められた番号制の住居表示方法。これ以前のプレートが付けられるまで、人々は家の正面に家の紋章を付けたり吊り看板を掲げていた。紋章には守護聖人、権力の象徴、家主の生業、先の例の「蛇、虎、羊、鷲・・・」といった動植物を表すもの・・・が多く、これらが住所の役目を果たしていたのである。

今でも王の道の両側に立つ家々に残っている当時の紋章は、建物の由来や当家のシンボルを示して美しい響きをもつ、ロマンティックな趣味性を含んだ中性のシステムであったわけである。けれども、合理主義的な番号制を奨励した1770年のマリア=テレジア女王により、この高尚な趣味は追放された。



 

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