ザヴィエル、キリスト教、カレル橋

天文学と数の魔術、そして中世の呪文

カレル橋
カレル橋(Kaflův most)

プラハ最古のゴシック様式の石橋カレル橋。最初の木造の橋が増水で破壊されたため、チェコ王ヴラヂスラフ2世によって石造で作られた。第2妃の名をとってユディタ橋と名付けられたこの橋も1342年の洪水で流されたため、1357年、カレル4世が天才建築家ペトル・パルレーシュ(Petr Parléř)に命じ、55年の歳月をかけて造らせた。

当時は「石橋」、「プラハ橋」と呼ばれていたが、1870年に創設者の名をとって「カレル橋」と改名された。

定礎は1357年9月7日5時31分。さらに旧市街の橋塔(これも1400年パルレーシュ作)の屋根の下には円形に Signatesignatemeremetangisetangis と神秘的な文字が並ぶ。すなわち定礎日は奇数字が一周し、文字も回文となっている仕組みで、「覚えておきなさい、覚えておきなさい、注意しなさい、私に触れるやいなや、汝は滅びるだろう」という意味の建物を守る中世の呪文であるという。

立ち並ぶ聖人像、沈黙の監視人

カレル橋に立ち並ぶ聖人像
カレル橋に立ち並ぶ聖人像

カレル橋を特徴付けているのが両側の欄干に立ち並ぶ30体の聖人彫像。このカレル橋のアイデアは、後に、天使像の並ぶローマのサンタンジェロ橋に模倣されることにもなった。ゴシック様式の石橋にかかる彫像の多くはバロック様式で、17世紀から19世紀にかけてプラハバロック彫刻の巨匠達の作品群となっている。

日中は世界中からの観光客でごった返すが、早朝の静かな時間に訪れると、まさに「沈黙の監視人」というにふさわしく、神聖な空間に静かに聖人達が佇んでいる。

それぞれの人物と彫刻家に歴史があって、チェコの、またヨーロッパの歴史を俯瞰できそうなくらいに非常に興味深く一体ごとに解説したいところだだが、30話になるのでここでは割愛。

フランシスコ・ザヴィエル像も

カレル橋に立ち並ぶ聖人像
聖フランシスコ・ザヴィエル像
手前の東洋人はちょんまげと帯刀

日本人観光客に人気なのが、旧市街から5番目の南側に建つ聖フランシスコ・ザヴィエル像。サビエルにゆかりある山口にとっては尚更だね。

なぜにスペインのザヴィエルがプラハに、しかもヴルタヴァ川のちょうど真ん中に建っているのか?

チェコの歴史は、あるいはヨーロッパの歴史は宗教(キリスト教)論争を抜きにして語れない。チェコにおける反宗教改革の急先鋒がイエズス会であり、彼らは宗教改革運動を主導したフス派に対する勝利を誇示するべく、市内に様々な建物や記念物を建ててプラハを変容させた。

その一つとして、後の1711年、カレル橋の聖人像として建てられたのが、イエズス会の共同創設者であるフランシスコ・ザヴィエルとイグナティウス・デ・ロヨラの2人である。

  ザヴィエルはチェスキー・クルムロフの中心広場(スヴォルノスティ広場)に建つペスト円柱を囲む8人の聖人像の一つとしても建っているが、これも同時期の作である。

東洋への伝道に尽力したことをモチーフに、このザヴィエル像はインド人、黒人、日本人、タタール人によって担がれている。

ザヴィエルとともに共同創設者であったもう一人の聖イグナティウス・デ・ロヨラ像はザヴィエル像の向かい(北側)に最初、建っていた。しかし、1890年の洪水で流されてしまい、今は見ることができない。

代わりに設置されたのが聖キュリロスと聖メトディウス像である。聖人像の中では、前々回、触れたネポムツキー像が最古(1683年)のものだが、こうして最新(1938年)の像が聖キュリロスとメトディウス像という次第である。

チェコという国が姿を現す前の、古く9世紀半ばモラヴィア王国への布教が称えられた二人の兄弟の像が最新のものであったり、聖像ひとつとってもこうして歴史の物語が隠されているのも面白い。


 

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