五つ星と棕櫚の枝がシンボル、ネポムツキー

シンボルは五つ星と棕櫚の枝

聖ヤン・ネポムツキーの墓碑
sv.Jana Nepomuckého
聖ヴィート大聖堂内、聖ヤン・ネポムツキーの墓碑

ヴァーツラフ礼拝堂からいったん大聖堂を飛び出したが、再び戻って奥に進んでみよう。入場者の進行の列が止まるのが、2トン近くの純銀を使用して作られた聖ヤン・ネポムツキーの墓碑。棺の上に乗ったネポムツキーが、棺ごと天使たちによって天国へ運ばれて行く昇天の様子を表している。

ネポムツキーには伝説があって、王妃に猜疑心を抱いたカレルの息子ヴァーツラフ4世(*)が妃の聴聞司祭だったネポムツキーから王妃の告解内容をきき出そうとしたが、ネポムツキーが口を割らなかったため、王の命令でカレル橋からヴルタヴァ川に投げ込まれた。彼が水中に消えた際に、そこに5つの星が現れて水面に輝き、天が開いて棕櫚の枝を持った天使が舞い降りてきたという。ネポムツキー像に必ず5つ星と棕櫚の枝が配されているのはこのためである。

*前回、説明した「チェコの守護聖人」ヴァーツラフ1世ではなく、彼を強く尊敬したカレルが同名をつけた息子である。

創り出されたネポムツキー崇拝

聖ヤン・ネポムツキー像
プラハ市内のここかしこにネポムツキー像

なんとなくフランダースの犬の最終話を思い起こさせるが、これはあくまでも伝説である。ネポムツキーが当時、王権との間に熾烈な争いがあった教会権力の側にいて、ヴルタヴァ川に投げ落とされたのは事実であるが、教会側が暴君ヴァーツラフ4世に殺害された聖者という役割を割り当ててネポムツキー崇拝を創り出すことに利用されたというのが真相である。

さらには17世紀半ばの暗黒の時代、イエズス会が改革派、異端者ヤン・フスの崇拝を抑えるために対抗馬として同名のヤン・ネポムツキーを担ぎ出すのにも好都合だったためである。

こうして聖ヤン崇拝は広まり、水難防止の守護聖人、巡礼者・旅人の守護聖人となった聖ネポムツキー像がプラハ市内には無数に据えられている。チェコにとどまらず、ヨーロッパ各地で川の守り神として信仰された。

命日の聖ヤン祭にはチェコ全土から夥しい巡礼者が集まるようになり、一躍、人気者となった形のネポムツキーであるが、20世紀に入り、チェコ民族主義が復興するとフス崇拝に対抗する形であったネポムツキーが逆に否定されるようにもなった。チェコスロヴァキア政府は1925年、聖ヤン祭を廃止した。チェコの歴史を学ぶとき、当人の死後、だいぶ経ってから聖人となる、列聖に加えられる例が珍しくないようなのだが、逆にネポムツキーの場合、このせいもあってか、1963年に聖人の列から外されたという。

崇拝の廃れた今も

聖ヤン・ネポムツキー像
カレル橋に建つ最古の聖人像
聖ヤン・ネポムツキー

それでも、今もネポムツキー像はプラハのここかしこに建っている。今回の数日の滞在中、無数の銅像が建つプラハで意識しなくても最も目にしたのが、5つ星を背負ったこのネポムツキー像であった。

カレル橋には両側の欄干に30体の聖人像が並んでいるが、このうち最古の聖人像が1683年鋳造の聖ヤン・ネポムツキー像。レリーフに触れると幸運が訪れるとの言い伝えから、その部分が剥げ落ちて金色になるほどの最も人気の像でもある。

プラハから2時間半のゼレナー・ホラ(Zelená Hora)には聖ネポムツキーの墓所があり、五角形のユニークな美しい巡礼聖堂は1994年、世界遺産に登録されている。


 

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