チェコの守護聖人、ヴァーツラフ1世

チェコの神聖さが凝縮された礼拝堂

聖ヴァーツラフ礼拝堂
Kaple sv.Václava
聖ヴァーツラフ礼拝堂

聖ヴィート大聖堂内には18の礼拝堂があって、その内の中心がチェコの第一守護聖人であり、大聖堂の正式名称(=聖ヴィート・ヴァーツラフ・ヴォイチェフ大聖堂)の一人として名を連ねる聖ヴァーツラフの礼拝堂。

大聖堂内でも特別に神聖な空間で、内部には壁一面に綿密な装飾。ゴシックスタイルの豊かなフレスコ画(*)で描かれた、聖ヴァーツラフの生涯の31の場面であり、ビザンチンの伝統に従って埋め込まれた宝石と金のストゥッコ装飾(漆喰浮彫り)が施されて美しい陰影をつくっている。

*壁に漆喰を塗り、その漆喰がまだ「フレスコ」である状態で、つまり生乾きの間に水または石灰水で溶いた顔料で描く技法。


チェコの第一守護聖人

聖ヴァーツラフ広場
Václava nám ヴァーツラフ広場
(後方が国立博物館)
台座には4人の守護聖人──
聖ルドミラ、聖プロコプ、聖アネシュカ、聖ヴォイチェフ

ここでまたいったん、聖堂を飛び出してみる(後でまた戻ってこれることを祈りつつ)。

聖ヴィート聖堂を創建したヴァーツラフ1世は、模範的なキリスト教的統治者であると同時に、外敵に勇敢に抵抗する模範的な騎士として伝説化され、国と民族を守る守護聖人という性格が与えられている。

プラハ市内には聖ヴァーツラフ像、またヴァーツラフを冠した教会が各所でみられるが、最も代表的なのが国立博物館から伸びるヴァーツラフ広場で、ここにまさしく勇敢な騎馬像が建っている。

19世紀以降、このヴァーツラフ広場はたびたびチェコの独立運動、抵抗運動の舞台となった。

  • 1918年、チェコスロヴァキア独立前にデモが繰り広げられ、独立宣言が読み上げられ初代大統領マサリクが凱旋したのも
  • 1968年「プラハの春」とよばれる自由化運動が沸き起こり、けれども自由化の波を危機とみなしたソ連軍を中心とするワルシャワ条約機構軍が突如、戦車を乗り入れたのも
  • 翌1969年、カレル大学生ヤン・パラフが抗議の焼身自殺を遂げたのも
  • 20年後の1989年、民主化を求めた100万人のデモで「ビロード革命」を果たし、かつて改革、自由化を指導して第一書記を解任され零落の座にあったドプチェクが再びプラハ入りして演説を行ったのも

このヴァーツラフ広場である。

かように旧市街地に建つヤン・フス像とともに、チェコで最も有名な像であり、チェコ人がアイデンティティを求めた強い意志を表し、民族主義を昂揚させる最も象徴的な像である。

壮麗な建物そびえる新市街

聖ヴァーツラフ広場
国立博物館側から見たヴァーツラフ広場

ヴァーツラフ広場と新市街についても少々。

プラハが発展して旧市街地が手狭になったことから、新しい街として14世紀半ばにカレル4世によりつくられたのが新市街(ノヴェ.ミエスト Nové Město)である。いわゆるカレルによる首都拡張計画の一事業であり、ヴァーツラフ広場はその中心となる。

もっとも広場といっても旧市街にみられる欧州的な円形の広場ではなく、縦に長い長方形の、広場と呼ぶにはやや違和感のある、ホテルや土産店の並ぶショッピング通り、目抜き通りの実態となっている。

今ではゴシック建築の痕跡はほとんど残っていない。ネオルネサンス様式の国民博物館を起点に、アールヌーヴォー建築の生きながらえたホテルヨーロッパなどの壮麗な建物が通りの両側を埋めている。

聖ヴァーツラフ広場
ホテルエヴロパ(ヨーロッパ)
プラハはパリ、ウィーンとともにアールヌーヴォーとセゼッションスタイルが最も普及発展した町

 

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