天才建築家と歴代王の遺産、聖ヴィート大聖堂

ゴシック式教会の最高傑作

聖ヴィート大聖堂南塔と金の扉
聖ヴィート大聖堂(Katedrála sv.Vita)
南塔と金の扉

ミュシャが聖ヴィート大聖堂に導いてくれたので、引き続き聖堂について。

プラハ城内にそびえ立つ聖ヴィート大聖堂は、一日でプラハを通過するパックツアー客も必ず見学する一番の観光ポイント。この旅行記もようやく普通の旅行記らしくなってきた・・・。

僕らが訪れた日は日曜だったため、聖堂内へは午後からの開門。昼前には入場を待つ長蛇の列ができた。並ぶのは好きではないから諦めかけたが、いったん入れば懐の大きい教会なので列の進み具合も速く、見た後だからこそ言えるが、やはりプラハに来てここを見ずに帰ったら一生、後悔しただろう、必ず立ち寄るべきだけのものはあると納得できた。

城内、第二の中庭から門をくぐって対面することになるこの聖堂は、その瞬間、きっと誰もが度肝を抜かれるだろう。圧倒的な迫力でそびえ立つ姿に身体も思考も吹き飛んでしまう。遠くから塔が見えるというのでなく、門をくぐると突如、忽然として姿を現すという見せ方なだけに衝撃的である。

完成までに千年を要した時代の結晶化

聖ヴィート大聖堂中央身廊
聖ヴィート大聖堂中央身廊

さらには堂内に足を踏み入れた時にも思わず立ちすくんでしまう。それほどに外からも内からもスケールが大きい。

はるか遠くにまで続くような奥行き(124m)、天井の高さはモノを投げても届きそうにない(主塔の高さ97m)。側面(翼廊最大幅60m)にはステンドグラスが四方を囲むように張り並び、美しい自然光が調光されて堂内を明るく照らし出している。ミュシャのステンドグラスばかりが注目されるが、正面も反対側も側面も、まさに美の競演と呼べるガラスギャラリーである。

前々回、触れたように最初は926年、ヴァーツラフにより円形教会(ロトゥンダ)として建てられ、次いでバシリカ(東西に長い長方形床面の教会堂、西に入口、東に礼拝を行う内陣)に代わり、さらに増改築を繰り返して1344年、カレル4世が教皇クレメンス6世と交渉してプラハを大司教管区に昇格させた際に大聖堂に建て直された。

薔薇窓
内部はステンドグラスの薔薇窓

フランスで育ったカレルによりアヴィニョンから呼び寄せられたのがフランス人建築家マティアーシュ。次いで彼らの死後、ドイツ人建築家ペトル・パルレーシュ(Petr Parléř)に建設が受け継がれると、当時弱冠23歳の、この若き創造的天才により後期ゴシック建築となり現在に連なっている。

正式名称は1997年に改名された「聖ヴィート・ヴァーツラフ・ヴォイチェフ大聖堂」。ヴィートは3世紀ギリシア出身の聖人、ヴァーツラフはチェコの守護聖人、ヴォイチェフはボヘミアの第2代司教。

正面入口、入ってすぐ振り向いた上部にあるのが薔薇窓。

祖国の父カレルと天才建築家による遺産

黄金の門上部の最後の審判
黄金の門上部の最後の審判図

南塔と金の扉も天才建築家パルレーシュの作による。南側入口は「黄金の門」と呼ばれ、金色に輝くモザイクで飾られている。上部に描かれているのは最後の審判の画面。王座につくキリストを中央に、足元にボヘミアを守護する聖人達が跪いている(右側に聖ヴァーツラフ、聖ルドミラ、聖ヴォイチェフ、左側に聖プロコプ、聖ジクムント、聖ヴィート)。さらにその下、中央アーチの両横にカレル4世とその妻の祈る姿となっている。


正面の双塔に劣らず存在感の強いこの南塔により、大聖堂もそれ自体、南側が正面であるかのような構造になっている。プラハを象徴する一枚といえばヴルタヴァ川右岸からカレル橋向こうのプラハ城を臨む景観が決まりであるが、特にこの場合、はっきりと主役を演じているのが、西側正面塔より高くそびえたつこの南塔である。これも大木の下の当座にいると森全体が見えないから気付けないものの、市内から臨む際には絶妙なバランスの景観となることを計算して配したのであろう、いかにも天才建築家のなせる業である。


カレル橋とプラハ城が織りなす景観
カレル橋とプラハ城が織りなす景観

 

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