文化人眠るヴィシェフラド墓地
文化人眠るヴィシェフラド墓地

向こうにそびえるのは聖パウロ教会
カフカを受けて、チェコ文学周囲について少し派生してみよう。旅行前に読んだカレル・チャペックの墓が個性的ということで、プラハの2日目午後はこの墓を目指してみた。
プラハ郊外の、中心市街地から少し南に下ったところにあるのがヴィシェフラド(Vyšehrad)地区。ここの広い城跡、庭園の中にある一画がヴィシェフラド墓地。ここにはスメタナ、ドヴォジャーク、画家のムハ(ミュシャ)など、チェコの文化を担った人々が埋葬されている。
民族墓地から墓石彫刻のギャラリーへ

美しい回廊で囲まれた中に、一体ごとに個性的な墓が並ぶ。
居並ぶ文化人達の中ではチャペックといえど突出しているものでなく、あくまでワンオブゼム、隙間なく並ぶ中の1基としてひっそりと立っていた。本棚で触れたように、芸術家の兄、ヨゼフがデザインしたフォルム。上部にはチェコスロヴァキア第一共和国の国章と十字架。下部には開いた本の形で、【KAREL ČAPEK 9.1.1890-25.12-1938】と生没年が記されている。
庭園の入口は川沿いと地下鉄駅の東西が主なようだったのだけれど、僕らはトラム(市内電車)で訪れたので、普通の入口でない、北側からの一番ダイレクトなアプローチをしたようだった。
フェイエトン第一人者 ヤン・ネルダ

左、ヤン・ネルダの墓
まず墓地に踏み入れるや、飛び込んできたのがヤン・ネルダ(Jan Neruda 1834-91)。まだ新しいのかな、金色に刻まれた名前がぴかぴかに光っている。
ヤン・ネルダはチャペックとともに19世紀のチェコを代表する文学者。プラハの歴史地区マラーストラナに生まれ育ち、フェイエトンと呼ばれる小さなコラム記事を生涯、書き続けた。彼の短編や旅行記の手法がチャペックに大きな影響を与えた。
実は旅行前にも購入していたが、出発までのスパート準備期間内には読めずに終わった。一番、読み応えありそうで、腰を落ち着けて読む必要がありそうだったので。先週、一気に読み切ったので機会を捉えて別に掲載したい。
死生観も個性的、芸術的
最初、ガイドブックに墓地を訪ねる記述が一冊ならず紹介されていたのを不思議に感じていた、墓を訪れるなんて少し薄気味悪いような気がしていたのだけれど、そこが国の差でもあるのだろうね。考えてみればワシントンのアーリントン墓地も、昨夏のスイスでも、外国のお墓というのはきれいで、静謐な空気が漂っている。訪れる者の心も清らかにしてくれる。
ここのヴィシェフラド墓地は加えて、チャペックの墓石にとどまらず、1基ごとに個性を競い合っているのが特徴。ユニークさにあふれていて明るい気持ちになる。人間の死を悲しみにずっと縛り付けるのでなく、魂を自由に解き放って、別の人生をまた楽しませているというような感じだ。
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