スメタナ、聴力を失って書き上げた「わが祖国」

チェコの国民的作曲家

カレル橋たもと、ヴルタヴァ川沿いに建つスメタナ像
Bedřich Smetana(ベドジフ・スメタナ)
カレル橋たもと、ヴルタヴァ川沿いに建つスメタナ像

前回、触れた市民会館の中にあるのがスメタナ・ホール。

プラハを象徴する光景がヴルタヴァ川に架かるカレル橋であり、背後にそびえるプラハ城であるが、この美しいヴルタヴァ川を謳い上げたのがスメタナの交響詩「ヴルタヴァ」である。日本ではドイツ語名「モルダウ」の方でよく知られている。

連作交響詩『わが祖国』中の第二曲が「ヴルタヴァ」。「わが祖国」という曲名にも表れれているとおり、スメタナはチェコの独立と民族復興運動に情熱を注ぎ、ドイツ音楽でないチェコ音楽の創出に腐心した。ドヴォジャークと並び、チェコ国民音楽の樹立者である。

市民会館のスメタナ・ホールは毎年、スメタナの命日である5月12日から行われる「プラハの春」国際音楽祭のメイン会場となり、「わが祖国」がオープニングを飾る。

アール・ヌーヴォー様式建築・市民会館

チェコ、プラハの歴史を語るとき、人物と建物(建築物)双方からアプローチするのが分かりやすく、今回もまず人物伝から始め、次いで建造物について紹介しようと考えていたのだが、興味ある内に建物についても触れよう。

市民会館
Obecní dům
プラハを代表する華麗なアール・ヌーヴォー様式建築・市民会館

スメタナ・ホールの入る旧市街・共和国広場にある市民会館は、目を見張る豪華な装飾が施された建物である。ヴィバルディ『四季』の街頭配布チラシ裏面にも、まず、この建物についての説明がなされていた。

プラハで最も特徴的なアール・ヌーヴォー様式の華麗な建物である。重厚な建物の多いプラハの中にあって、従前の様式による実験済みの建築言語でなく、アール・ヌーヴォーの反歴史主義ともいえる様式にチェコの芸術家や建築家達が強く惹かれていた時代が読み取れる。

内部もムハ(ミュシャ)ら芸術家らの装飾やステンドグラスなど、贅を尽くしたつくりとなっている。


チェコ文化復興の象徴、国民劇場

国民劇場
Národní divadlo
自らの文化的アイデンティティを求めたチェコ国民の強烈な意志を表すシンボル・国民劇場

レギオン橋のふもと、黄金に輝く冠を戴いて建つのが国民劇場。

ドイツ語の強制によりチェコ語を自由に話すことのできなかったチェコにおいて、自分たちのための劇場を造ろうと、1849年、国民劇場建設委員会が発足、チェコ全土から資金が集められて建てられたものである。

「チェコ語によるチェコ人のための舞台を」というスローガンの下に集められた寄付で1881年に完成。直後に火事で焼失したが、わずか2年間で再建。これはチェコ国民が、国家的文化推奨の場である劇場が、再び息を吹き返して、生の新風をもたらすことを強く望んだことの証拠でもある。

この国民劇場のこけら落としがスメタナのオペラ『リブシェ』であった。

※リブシェは伝説上のチェコの最初の王妃。プラハの街の繁栄を予言した。


晩年、聴力を失って悲劇の死

『売られた花嫁』、『タリボル』等の大成功で、既に国を代表する作曲家として認められていたが、スメタナは50歳で聴力を失う。音楽家としては致命的な病に冒されたわけだが、『わが祖国』をはじめ、聴力を失ってなお作曲を続けて作品を残した。

音楽家として聴力を失った後に残した『わが祖国』に人々は感動を禁じ得ないだろう。

加えて僕には、スメタナが聴力を失って10年後に精神病院で狂死したことにも関心を引かれざるを得ない。

これは──これがこのブログのアイデンティティの根源ということもあり──また、道中記録と併せて今後にも触れてみたい。


 

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