いつかまた、どこかで

ジャパーニーズ・走りバカ

もう一人、Mさん同様、昨年に続けて参加されたのが静岡県のYさん。

ボストンスナップ〜地下鉄コープリー駅入口(ゴール地点)
ボストンスナップ〜地下鉄コープリー駅入口(ゴール地点)

色黒で彫りの深い顔立ちのYさんの第一印象は、男らしさと精悍さの伝わってくる感じの人。少しとっつきにくい気もしてツアー中、僕から話しかけることもなかった。けれども、やはり、この方も見た目の印象と違うことを、Yさんの場合は、帰国後にメールを交わしていくうちに知る。

似顔絵を書くのが趣味のよう。人気女優やマラソン選手の似顔絵、それに自画像とメールアドレスも加えたコピーをツアーメンバー一人一人に配っておられた。ユニークな自己PRだなとは思ったものの、そのときは、正直、この人の性格を量りがたい思いも感じていた。バンクーバー空港で「金子さんの似顔絵もかきたいので写真を撮らせてください」と頼まれた時も、「いや、あんまり画かれたくはないなぁ・・・」と内心、思ったのだけれど、でも、帰国後ていねいにメールで送られてきた(とてもリアルなので割愛)。

この似顔絵&メールアドレスは至るところで配っていたようで、青い目の他国の招待選手に話しかけるときに利用し、また、女子学生の熱狂的応援を受ける、あの、ウェーズリー大学前を走り抜けるときにも配ったのだという。2度目の参加だからこその用意周到さに感心するという以上に、その図々しいまでの積極性がすごい。

意外な展開、楽しい話は──

それだけなら、ちょっと変わった人という印象で終わってしまったろうが、帰国した後のメールで、「(たくさん配ったけれど)でも、誰からも反応はないです」と知らせてくれるあたりから、「あぁ、この人、悪い人じゃなくて、面白い人なんだな」とようやく知るようになった。そのくらいの図々しい自己アピールのあった方が人生も楽しいだろう。その後も、夏の北海道マラソンの結果や、富士登山マラソンでは現地消印の暑中見舞いのハガキをいただいたり、また、最近では小出監督の講演録もメールで送ってくれたりしている。

こんな具合に、Yさんはマメな人で、メールでなら聴者と同じ環境で話せる僕には、とてもありがたい。そして、このように、実はYさんは、色んな人と交友することがとても好きな人だ。テロのあった昨年は、会社命令により行けなかったニューヨーク・シティー・マラソンに、今年はツアーを介さず、一人で出場するらしい。それもボストンで知り合った現地の人づてでニューヨーク在住の友人を紹介してもらったのだというから、アメリカを旅して人生を楽しもうと思ったら、やはり、図々しさは不可欠だ。

最初見たときに抱いた自分の印象が帰国後のメールのやりとりで全く変わり、今では「金子さんも、よければ一緒に行きましょう」と誘われるような関係にまで変わったのも不思議だ。

Yさんから3月、荒川市民マラソンで初めて3時間を切ることができたというメールを受けた。続けて5月の洞爺湖マラソンも2時間58分だったというから、実力も本物になっている。何より、40代になってからのサブスリー達成という点に大きな価値がある。

楽しい話は道中を短くする――

福岡県宗像市のNさん。着ているトレーナーのバックプリントが「岡の里名水マラソン」。「荒城の月」で有名な滝廉太郎の生誕地である大分県竹田市の大会で、僕が20代最後の記念に、と初マラソンに挑んだレースである。Nさんは毎年のように出場されているらしい。阿蘇山と久住山系の一環にある、標高差230m、上り坂が延々7km続く(下り坂のボストンと正反対だ)恐るべきコースで、僕はそれ以来、参加しようという気になれない。きいてみると、僕には最初で最後になってしまった1997年の大会に実は、お互いが出場していたようだ。帰国してそのときの記録集を調べてみると、Nさんは55歳代の部で優勝されていた。

Nさんもまた、今、60代ながら、なお3時間前半で走られるシリアスランナーである。

山田敬蔵さん

そして、とどめは山田敬蔵さん。

この方だけをフルネームで表すのは、この方は既に実名がブランド化しているから。

無知な僕は山田さんのことを知らず、他のツアーメンバーがやたらと山田さんと一緒に記念撮影したがったり、サインをもらっているのを不思議に思っていた。その昔、活躍された有名な方で、若いときはボストンも優勝されたし、今回も70歳代の部で優勝されたのだということを、ツアー中は遅ればせながら知っただけに終わった。

しかし、つい最近、『ランナーズ』という陸上専門雑誌の4月号に「ランナーの肖像 第1回」として5ページにもわたって紹介されている。それを読んで知ったことが続々・・・。

  • 1952年のヘルシンキ・オリンピックの代表であったこと。
  • ボストン・マラソンでは、第57回(1953年)の優勝を称え、ナンバーカード「1953」が山田さんの永久欠番になっていること。
  • 当時世界最高の活躍が映画にも描かれたこと。
  • 今回の48年ぶりの優勝も地元メディアに大きく取り上げられたこと。
  • 鹿児島県で開催される“いぶすき菜の花マラソン”には、21回目となる今年の大会まで皆勤賞であること。
  • フルマラソン完走回数は276!
  • 68歳までサブスリー(=フルマラソンのタイムが3時間を切ること)。
  • 今の目標はボストン・マラソンへの10回連続出場(昨年が7回目)。
  • タイムは今も3時間ちょっと。
  • 現役を引退してからボランティアにも関心をもち、盲人マラソンの伴走を始めたら、練習しているところを永六輔さんに見つかり、それが紹介されて盲ランナーの希望が殺到したこと・・・・・・。

ものすごいという他ない。こんなことなら、永久欠番「1953」の横に並んで僕も、記念撮影しておくのだっ!!!

失礼な表現だが、144cm(!)という小柄な山田さんは、その柔和な笑顔もあって一見すると、とてもかわいいおじいちゃん、といったところである。それがマラソンを走るなんて、宇宙人のようだと僕は感じていた。でも、74歳で3時間の記録はまさに宇宙人そのものだ。

山田さんとお話できる機会はなかったが、これだけの数々の名誉を持っておられながら、打上げのときには僕のようなスピーチにまでも、しっかりと顔を見て、ていねいに耳を傾けていただけた、その姿が強く印象に残っている。これも、雑誌によれば「縁が縁を生むという『ご縁』を大切にしている」からなのだろう。謙虚なお人柄が伝わってくる。

いつかまた、どこかで

と、こうして書き記してみると、同室のAさんが同い年、そして、Yさん、Mさん、Nさん、山田さん・・・、と、30代から順に、40、50、60、70歳代の各年齢の人たちになっていることに今、気付く。こうして幅広い年代の方と出会い、話のできたことは面白い偶然だ。特に、Mさん、Nさん、山田敬蔵さんら、50〜70歳代の方々の活躍に受けた刺激が大きい。僕も年をとってもずっと走り続けたいと思っているつもりだったが、これらの方を知ると、走り続けるだけではなくて、できるかぎり走力も落とさないようにせねば、と、早くも自分の目標を上方修正したくなった。

最初、ツアーなんかで来るんじゃなかったと面白くない気持ちにもなった。けれども、ツアーで来ることの面白さもあるものだ。確かに僕は、きこえないことでこうした話をすることの機会に恵まれない。山田さんのことも全く知らなかった。聴者なら意識せずとも自然に耳に入ってくること、雰囲気というものを知らずにいる。知らないことはききようがない。

けれども、不利は事実でも、全く得られないというわけではない。かわいい兄妹との出会いがそうであったように、あるきっかけで、何かの偶然で、思いがけぬ世界が切り開けてくることだってあるのだ。それはやはり、自分が自分の人生をどう生きているかで遭遇するものも違ってくるはずだ。山田さんの言うところの「ご縁」を、自分には自分のご縁を大切にしたいと思う。


1年経って思う。あのメンバーは今も元気に走っているだろうか?

今年のボストンにもまた参加したろうか?

次のレースを目指して練習を重ねているだろうか?

いつかまた、どこかの大会で会えるだろうか?

きっと今も、“ジャパニーズ・走りバカ”達は世界各地を愉快に走り回っているはずだ。


スタート前、ボランティアの地元高校生ら? と一緒にパチリ!
スタート前、ボランティアの地元高校生ら? と一緒にパチリ!

(完)


 

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