続・バンクーバーまでを共にしたかわいい兄妹のこと

デフであることのカミング・アウト

どういうきっかけで話し始めたのか、覚えていない。しばらく、ただの“微笑返し”を繰り返していると、彼女が何か僕に向かって問いかけてくる。僕の方から話しかけたくてならない気持ちを持っていながら、一方で、「きこえないことを打ち明けねばならないときが、とうとう、やってきたか・・・」という複雑な気持ちでもあった。こんな小さな女の子に理解してもらえるだろうか? と思いつつ、いつものように「僕はデフなんだ」と、──すぐ隣にいる人間との関係を遮断することにもなる──最後通告の言葉をこぼす。胸がちぎれそうになる瞬間だ。

ボストン・スナップ
ボストン・スナップ

けれども、子どものよさは、相手が Deaf だからどうだ、と決めつけてしまわぬところだ。アメリカの良さなのかもしれない。彼女は単に、また一層、面白いものにでも出会えたような笑顔で、くすくすと笑っている。僕は自分が心配したのと違い、 Deaf であることのカミング・アウトによっても、彼女とのささやかな関係が切られてしまわなかったことに救われた気がした。ほっとした。相手に言うべきことを言った後は肩の荷を降ろすことができて、気持ちもずっと軽くなる。ただ黙ってみつめあうだけのこの状況を少し、切り開いてみようという勇気も出てきた。

「どうして食べないのか?」「おなかが一杯なのか?」

彼らだけへの特別サービスのホットケーキに手をつけないでいるのを見て、きいてみる。

これは日本でもそうするように、最初のうちは相手が「Yes/No」で答えられるような質問だけを、意識して話しかける。彼女ははっきりと「Yes!」と応えてくれる。いじらしいほどにとてもかわいい。僕の心も一気に明るくなってゆく。

Writing conversation〜筆談

当然のことながら、次は、彼女の方が何かをきいてくる。何度も何度もきいてくる。けれども、僕の耳がきこえない状況に変わりはない。こんな小さな子に筆談を頼むのも無理と思っていたから言わないでいたけれど、思い切って

“Can you write?” とペンを差し出してみたら、これも

“Yes!” と、喜んでペンをとってくれた。

僕はこれまでにも色んな場面で様々な人に筆談してもらえた嬉しさは数多く持っている。また、今後もずっとそうした感謝すべき機会をもてるにちがいないと思っている。けれども、この子の“Yes!”には、たまらなくじんときた。これまで感じたことのない嬉しさだった。涙が出そうになった。

「お兄ちゃんは絵が好きなんだね」と言うと、彼女も誇らしげに、

「そう。彼はものすごく上手いのよ」と、顔を輝かせる。

僕たちが中学一年で初めて英語に触れたときに練習したようなブロック体で、スペルもときに間違うけれど、一語一語ていねいに書いてくれる字がとてもいとおしい。

お兄ちゃんの絵は僕から見ても本当にうまく、真似るべき対象がなくても、ドラゴンボールのキャラクターを次々に見事に描いてゆく。

「それは日本のアニメだよね。僕も日本から来たんだ」と話もしやすくなってゆく。

全選手の完走記録の載ったボストン・ヘラルドの「国籍=JPN」の僕の名前を指してみせる。マラソンを走ったのだというと、「ふぅーん」と、ちょっとだけ感心してくれた。

やがてお兄ちゃんも話しに加わってきて、僕は一番、不思議に思っていたけれど、きくのもどうかと思っていた、

「君らはどうしてボストンからバンクーバーに行くのか?」という疑問を思い切ってたずねてみた。

「それはあまりにも遠いじゃないか(It's long distance!)」

お兄ちゃんにも同様に、僕は Deaf で、言葉がきこえないから、書いてもらえないかとお願いしたのだが、そのときにみせたお兄ちゃんの態度がまた見事だった。

「きこえないのだ」と伝えた時に相手がみせる反応は人それぞれである。驚く者、信じようとしない者、悲しそうに同情の念を示そうとする人、薄ら笑いを浮かべる者、見下したように馬鹿にする者・・・。相手が子どもならば僕は、罪のない無垢な笑いを示すだろうと予想していたのだが、彼は違った。驚きもせず、また同情するといった表情でもなく、「Ah・・・, all right」と一瞬のうちに事情を理解して、すぐにペンを走らせた。妹が無邪気な明るさで書いてくれたのとはまた別の、彼には、大人でも必ずしも備えているとは限らない分別を、その年齢で有していることをはっきりと見せてくれた。僕はまた感動させられた。

彼が書くには、

“My dad lives in Vancouver and my lives in Boston.” なのだという。

ボストン・スナップ
ボストン・スナップ

後者の“my”は“we”の間違いなのか、あるいは、“mom”が省略されていたのか、はっきりとはきけなかったが、いずれにしても、2人がバンクーバーに住む父親に会いに行くのだという。アメリカ大陸の東の端から西の端へと、3時間の時差もある7時間ものフライトをかけて、約4千キロ離れた地に向かうのだ。父が子どもらに会いに行くのではなく・・・。「エアー・カナダ機で行くのは初めてだけれど、以前は別のに乗ったこともある」というから、初めてでもないようだ。

これは、話していて次第に確信するようになったのだが、彼らは非常にクレバーな兄妹であった。

感心させられたこと

筆談をお願いして、きちんと書けるという態度にも、7時間のフライトに動じないところにも、育ちのよさ、素直さを感じさせられた。きっと、親の育て方がとてもいいのだろう。

この子らの両親にとって、子どものうちから2人で長いフライトの経験をさせることも一つの教育方針なのかもしれない。子どもの時から学術都市でもあるボストンへ越境(越国)入学させているのかもしれない。そう推測するのもあながち外れてはいなかっただろう。Ryuan (リューアン)とAmy (エイミー)という名前もアメリカ人らしくなく、カナダ籍なのかなと勝手に思ってしまう。とにかく、とても素直でかわいい。

例えば、きこえない人間への対応ひとつとっても、子どもの頃に経験があるのと、大人になって初めて出くわすのとでは全然違う。この子らが僕に見せてくれた対応は、既に十分、申し分ないものだったけれど、僕のような人間と話すことも、彼らの人生の中ではまた、ひとつのいい経験になったろうと思う。ロチェスターを訪れた時、そこでは、ろうの子と聴者の子らが授業でも交流していたが、彼ら兄妹は、バンクーバー行きのエアーカナダの中で、偶然、隣に座った日本のろう者と話すことをごく自然に、ひとつの経験として身につけてゆく。

バンクーバーで彼らは父親に、 A Japanese Deaf としての僕のことを、どんな風に伝えてくれたろうか。

アメリカ大陸を横断する空の上で

時計をしていない二人がよくきいてきたのは、「一体あとどのくらいでバンクーバーに着くのか?」という問いだった。

“How long do we get to Vancouver?” (兄)

“How long have we been on the plane?” (妹)

(──と、色んな表現ができるのだな、と僕には勉強にもなった。)

「待って」といってから、僕は席を立ってスチュワーデスにききにゆく。兄妹を最初に連れてきた、デミー・ムーアにも少し似た気の強いスッチーと、以前に書いた、ASLで話しかけてきたスッチーとの2人のスッチーらとおかげで親しくなることもできた。いつもは通訳してもらう側なのに、このときばかりは僕が代わりにきいてあげる立場になれるわけだ。胸躍る嬉しさだ。

彼らが両親と搭乗していれば得られない機会だったし、僕にとっては、これもツアーメンバーと離れていたからこそだった。隣に聴者がいれば、周囲に誰かいれば、きこえない──つまり、そこで何が起こっているのかを知ることができない──僕の出る出番など全くない。彼らと筆談で話を交わすチャンスもなかったろう。僕だけがこの、かわいい兄妹らとの素敵な時間を持つことができた。3人がけのシートの素敵な空間を独占していた。

子どもらに7時間のフライトは相当につらいだろうけれど、僕には、このバンクーバーまでのフライトがずっと続いてほしかった。

ツアーの最後になって、よいことが続くものだ。感無量になった。聴者なら何ということもない、もっと面白い話もできたろう。けれども、きこえない僕が子どもと筆談で楽しい時間を過ごせるなんて、ものすごい幸運な出来事だった。

濃密な時間だった。ツアーでやってきて、一番、話すことができた、コミュニケーションできた時間だった。英語を使った時間だった。

神様がくれたプレゼントのように思えた。

アメリカ大陸を横断する空の上で、僕は、最高に素敵な時間の中にいた。

やがて飛行機はバンクーバーに到着する。ボストンで最後に乗り込んだ彼らは、同じようにスチュワーデスに連れられて今度は一番に降りてゆく。悲しくて泣けてくる瞬間だ。偶然の時間を共にして終わりがやってきたとき、何と言えばいいのかわからない。「一期一会」という日本語が身にしみる。彼らに出会えたことにただ、感謝して別れた。

ボストン・スナップ
ボストン・スナップ

 

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