続・ツアーメンバーの人たち

レース後の打上げ

レースを終えた夜、ツアーメンバー揃っての打上げが行われた。ホテルの一室で乾杯後、頃合を見計らって添乗員が「(今日の結果について)一人一言を・・・」と要求し、メンバーによる自己紹介も兼ねてのスピーチが始まる。

念願のレースを走り終えた満足感とプレッシャーから開放された安堵感に包まれたメンバーは皆、心地よい肉体の疲労感に染みわたるビールの酔いにも助けられて、各自、上機嫌にスピーチを始めてゆく。ボストンまで来た決意と当のレース結果と、一人一人のドラマが順番に明かされてゆく中、宴も大いに盛り上がっていった。

それでも、おそらく誰もがリラックスして耳を傾け、談笑していたこの場で、一人、最後まで愉快な気持ちになれずにいたのが僕だったろう。皆が楽しく、憧れのレースを終えた酔いに身を任せてゆけるのに、僕はその場を飛び交う言葉を知らない。

宴の中にいて酔えないろう者

この時期、職場で行われる歓送迎会にも似た状況だ。そこでも一人ずつ、順に、お世話になった感想や自分の意見を求められることがある。他の皆が何を話しているのか分からない状況で、僕も、自分は話すだけは話さないといけない。この、不平等というか、何ともいえないアンバランスなむずがゆさ・・・。

普通、こういった場合、人は他の皆が何と言っているのかを知り、場の雰囲気をつかんで話をするものだ。誰かが述べた言葉を受けて、自分の発言もそれにすり込ませてゆくような、場の空気を勘案して微妙な調整をする。きこえない者は、こうした目に見えない流れや空気といったものを察知することができずに、突然ピントの外れた話を始めてしまう。場の雰囲気を一瞬にして壊してしまい、また、失笑を買ってしまうことが珍しくない。

こうしたとき、僕は、正直に「皆さんが何と言っているかわからないから、自分がどう言うべきかわからないのだけれど・・・」と切り出すことが多い。他の皆の言っていることを全く知ることができずにいるなかで、自分の感想だけ述べるなんて、滑稽なこと、この上ないじゃないか。

ボストン・スナップ
ボストン・スナップ

今回のツアーでは、ここで初めて僕が「きこえない」のだということをメンバーに伝えることができた。僕にはこの自己紹介の機会を、全員にアピールできるという意味で、ツアーの最初にもらえたならば、なお良かった。皆に、きこえない自分を正確に伝えることができたのが、翌日の早朝、帰路につこうというときだなんて。

でもまあ、先に述べたように、メンバーの中の誰か一人がきこえないからといって、このツアー自体には何も影響はない。誰か一人がきこえないからといって、メンバーの人たちだってどうすることもできない。あるいは、「きこえない」ことなんて最後まで言わずに、適度にお茶を濁していることだってできたろうし、その方が、不必要にツアーメンバーの気をもませるようなこともなく済んだかもしれない。「他のお客様に迷惑がかかるかもしれない」といったんは断られかけた添乗員を説得して参加したのだから、そうするべきだったのかもしれないとさえ思う。

ツアーメンバーの中で自分に何かせめてもの話題を見出すとするなら、ゼッケン番号が最も若い(参加資格となる申込時のタイムがよい)ことだったのに、それさえ、50代の方に最後にかわされてしまう。皆が美酒に顔を紅潮させ、盛りあがってゆく宴の中で、自分だけが楽しくもなく、また、得られるものもないまま帰国してしまいそうな、なんだかみじめさが二重三重に追い打ちをかける。

レースを終えて緊張感が解ければ、一層、打ち解け合える他のメンバーと違って、きこえない僕にはまだ別の何かが必要なのだ。

そう、何かのきっかけか幸運か奇跡かが。

突然の手話

と、そのときだ──。スピーチの順の廻ってきた一人の女性が、手話を使って話し始めた。

息を飲んだ。驚いた。空気が変わった。

おそらく「手話」が言語になりうるものとは考えもしていないだろう二十数人のメンバーを前にして、彼女は最初、少し緊張した、でも、しっかりとした手つきで語り始めた。そのときまで、僕は皆に対して手話で話しかけたことはない──もしかすると日常の癖で、思わず僕の手が動いていたのかもしれないが──。僕が手話を解するのかどうかさえ直接、確認したわけでもなく、彼女(Eさん)は、いきなり確信をもって手話を使った。ただ、自分の手話で僕に通じるのかどうかだけを、最初、僕の表情をのぞきこむように確認すると、あとは恥じることなく、動じることなく続けた。

聴者と話していたら、実は相手が手話のできる人だった──ということは、そう、珍しいことでもない。けれども、Eさんに感心したのは、まだお互いが言葉を交わしたことさえないのに、皆のいる前で、自分一人のために手話を用いてくれた、その堂々とした態度の美しさである。Eさんとそのあと、話ができたことが嬉しかったのはもちろん、それ以上に、このとき初めてツアーメンバーの中で自分の存在が認められた、救われたように思えたことが僕には何より嬉しかった。

事実、おかげでこのときから、自分を取り巻く流れが確実に変わっていった。

僕のEさんに対する印象は、最初、成田空港の集合場所で見たときから「こんな女性が本当に走るのか?((走れるのか?)」という不思議なものだった。海外旅行にはしゃぐ若い女性のような感じで、マラソンツアーとは全く縁遠い人にみえた。御主人の応援に夫婦で参加しているのだとは、話してみてやっと分かったことである。きけば、Eさん夫妻も福岡からやってきているという。ならば勝手知ったる地で、もっと話もできたところだが、福岡から参加している他の数組の夫婦たちとグループになっていた(福岡でも有名なランニングクラブの人たちだった)ようだから、話ができたのも、その打上げの残りのわずかの時間にとどまった。

閉館前のジョン・ハンコックタワー

打ち上げ後、他のメンバーは2次会に出かけたのかどうか、僕は、ニューイングランド地方で最も高いというジョン・ハンコックタワーの展望台に昇って一人、夜景を眺めることにした。10時の閉館時間も間近で、観光客もまばらだった。

新旧共存のボストンの街を象徴する、62階建てガラス張りの摩天楼ジョン・ハンコックタワーと、1877年建造ロマネスク様式のトリニティ教会
新旧共存のボストンの街を象徴する、62階建てガラス張りの摩天楼ジョン・ハンコックタワーと、1877年建造ロマネスク様式のトリニティ教会

62階というから新宿の超高層ビルとも同じくらいなのだろうか。レースを終え、この夜が明けたら帰国するというこの時間を、こうして、四方に散りばめられた美しい光の輝きを見下ろすシチュエーションに身を置くというのも悪くないものだ。元々センチメンタルな自分が、さらに感傷的になってしまう。

ホプキントンから走り下りた道はあれだろうか、と遠くをみつめて思う。意気込んで乗り込んだレースは期待した結果を得られなかったけれども、疲労感と酔いと眼下に広がる夜景が僕の心を癒してくれる。何よりたった今、話せたEさんとの出会いが、心をあたためてくれた。終わってみれば何もかも全て良かったじゃないか、と一転、穏やかな気持ちにさせられた。旅は、見知らぬ誰かと出会い、ひとときを過ごし、そして決まったように別れる前にはせつなさを残してゆく。

一瞬の出来事に、大きく心を揺り動かされた。興奮した感情はSF映画の中にいるような、ふわふわと宙に舞うような錯覚を与えてくれた。結局、この夜は42.195kmを走りきった疲労感とその後に飲んだアルコールの酔いとにもかかわらず、眠ることができなかった。旅の終わりのせつなさに覚醒されて、色んな出来事に遭遇した感慨に朝まで浸っていた。

最終日

翌朝早くにバスで帰路につく。そっけないようだが、レースを走り終えるという目的を達した後のこのツアーは、すみやかに旅の幕がおろされる。それでも、昨夜、Eさんが皆に見せてくれた勇気ある手話もあろうし、旅の終わりを皆がはっきりと意識するようにもなったのだろう。こうして偶然に集まったメンバー同士が互いに一緒にいられるのもあとわずかの時間なのだと分かるようになると、そこに流れる雰囲気が柔らかくなってゆく。心の距離が縮まってゆく。

それぞれが記念に一緒に写真にもおさまった。Eさんともう少し一緒にいられたら、まだもっと話せるのに、という思いもむなしく、それもまた旅の決まり事であるかのように、鉄路でニューヨークに向かうメンバーのEさんらと別れる。

“幸運の女神”というが、Eさんがそれだったのかもしれない。

あの夜の手話をきっかけに、ニューヨーク組と別れて帰路につくメンバーたちとも親しくなることができた。

そして、復路のフライトの中で、また、素敵な出来事に遭遇する。


p.s.この稿が出版されるのは、ちょうど106thボストン・マラソンのレースの頃です。今年また行きたかったのに、行けなかったのが残念です。初めての海外レースを前に期待に胸を膨らませていた、もう、あれから一年になったのだというのもまた感慨深いものがあります。この連載もそろそろ、幕を降ろさねばと思っていますが、もうしばらく、おつきあいください。


 

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