続々・旅行中のコミュニケーション

ツアーメンバーの人たち〜同室のAさん

短い旅行中の、しかも全員が初対面である聴者の中では一人でいる方が気楽だとはいえ、そうはいっても、ツアーメンバーの方ともそれなりには話を楽しめた。

特に同室となったAさんには、コミュニケーションが交わせた云々というより、やはり自然に情報保障役になってもらったという意味で大変、お世話になった。学年が一つ下の同年齢で、高校時代から陸上をされている本格派の方だ。

エントリー会場にて
エントリー会場にて

ツアーにおけるホテルの宿泊料金は、一人部屋だと割増料金が相当に高くなってしまう。相室を申し込んでも、うまくペアが組めなければ一人部屋とならざるを得ない。特に僕のような「きこえない」相手と好んで同室になろうという人がいるとは思えないし、避けられた結果に残ることとなってもやむを得ないと覚悟していたのだが、今回は「耳のきこえない」ことを承知で、同室となることを受け入れてもらえた。恐縮してしまうほどに、充分にありがたい。

加えて、生まれも育ちもずっと福岡の人というのも偶然だった。ちょうど大学時代に過ごしていた期間も僕と重なるおかげで、話の合う話題が多く、そういう意味でもとても運がよかった。

行きの飛行機から隣の席になるよう添乗員は配慮してくれたようで、メンバーの中で2人が最年少同士だったという事もあり、ツアー中、話をしたのは、このAさんとが大部分になった。 体育学部卒業の、僕以上に根っからの体育会系で性格も非常に明るい(僕らの世代にありがちなバブリーなノリだ)。明る過ぎるくらいの性格で、引いてしまうくらいに圧倒されることも多かった。

ツアーメンバー中、最重装備のいでたちで、何がそんなにあるのだろうと思うほど、VTR、ノートパソコン、山のようなインスタント食品・・・、その他を詰め込んでやって来られていた。必要最低限の荷物で旅を楽しむタイプとは全く逆で、日本から持ち込んできたたくさんの話のネタ、材料を周囲と親しくなることのきっかけにしたい、そういった旅の方法を楽しむような人だった。今も陸上指導に携わっておられるとかで、練習メニューを見せてくれたり、教え子の活躍の掲載されたスポーツ新聞も持ってきて説明してくれたり・・・、と誰にも心をオープンにする気さくな、そして個性の強い人だった。

聴者とのコミュニケーション

同室となってもらえた上に、筆談を抵抗なく書いていただけたのが何より嬉しかった。この人がいなければ、団対ツアーに当然の、バスや飛行機の発着時間から集合時間、その他もろもろの連絡事項、注意事項を知ることができなかった訳で、本当に助かった。

ただ、僕の側としては嬉しいことでも、Aさんにとってはどうだったか?

彼もせっかくボストンへ走りにやって来たのに、きこえない僕と同室になってしまった。「現地のアメリカ人」とではなく、「ツアーメンバーの日本人」とコミュニケーションに苦労させられることは、彼の側からすれば考えもしなかった、アンラッキーなことだったかもしれない。

聴者にとって、普通に暮らしている限り、きこえない人間と接することはない。「筆談」しなければならない、声を出せない状況に遭遇することなんてない。ベッドの上に寝転んだまま談笑することもできない、ペンとメモを取り出さなければ何も始まらない、話し相手にもならない僕には、彼もきっと相当なストレスを感じたことだろう。

家族や恋人のように打ち解けている間柄でもないかぎり(時にそうした場合でさえ)、聴者ときこえぬ者との間にはどうしても、お互いにストレスが生じてしまう。手話通訳者でさえ、ずっとろう者の世界にいて声の出せない(出さない)時間が続くと、「息がつまる」と感じることもあるのだという。僕としては、どうしてもそんな引け目を感じてしまう。

そう思いつつも、でも、僕としては素直に楽しませてもらった。レース当日の朝は

「“あさげ”と“ゆうげ”、どっちがいいですか?」と僕にも味噌汁をすすめてくれたり(人にあげる分までを用意してきたから、荷物も必然的に多かったわけだ)、あるいは、レトルトの赤飯や餅まで持ってきたのは良かったけれど、湯沸し器がなくて、それでもあきらめずに浴室の湯を数十分間、流し続けて意地でもなんとか食べようとした──でも、レース結果は良くなかった──ということがあったり、とにかく、側にいるとこちらも楽しくなれる、陽気ないい人だった。こういう人は、あとで思い出す時、愉快な気分にさせてくれる。

Aさんにめぐりあえたのは幸運だった。他のツアーメンバーとのコミュニケーションについては、また後述する。

ASLとの遭遇

それから、できれば、現地のDEAFと交流することができればよかった。きっとランナーの中にも多くいたろうが、今回はそこまでの準備、手配ができなかった。今後は、ネットを利用してDEAFの知人をつくり、おちあうことができればと思う。そんな時間をひねり出すのは言うほどに簡単なことではないけれど、こういうことは熱意を持って日々の生活にやっていなければ、得られる果実もない。英語も鈍らぬように、自分にむちうって触れる機会を持ち続けねば――。

ボストンスナップ
ボストンスナップ

時間的に考えれば、ASL(American Sign Language アメリカ手話)を習得していくのはほとんど無理だ。これは、前回のギャロ大ツアーでも痛感したのだが、かたことの単語、「ハロー」、「ボクハニホンカラヤッテキタ」程度の会話を覚えてゆく程度では、それが通じることの喜びはあっても、それ以上のコミュニケーションには進まない。長期間、滞在するなら現地でASLを一気に覚えてしまうのがいいだろうけれど、年に一度の旅行程度なら、「読み、書き」能力に集中した方がいいのではないかとも思った。

もちろん、ASLがあやつれたらどんなにか良いだろうという願望と魅力は捨て難い。ちょっとだけでも随分、違うだろう。そう思わせられたシーンに、今回、2度、遭遇した。

ひとつはレース前日の受付会場。大会はかなりの部分、ボランティアで運営されている。ゼッケンを配布する人も気さくな人で、何やら僕に話しかけてきた。ボランティアも世界各国の参加者と触れ合う楽しみがあるからこそ、引き受けているのだろう。「日本カラ来タノカイ?  僕モ京都ニハ行ツタコトガアルヨ」だとか何だとか、声をかけようとしたのだろうか。

もちろん日本にいても日常茶飯事のことで、残念ながら、「僕はきこえないんだ」と返したら(そして大抵の場合、相手はここで困ってしまう)、彼はそんなレア・ケースに驚くでなく、むしろちょっと興奮した様子で隣の担当の女性を呼び寄せた。と、次の瞬間、これまた目を輝かせてその女性が僕に向かってASLで話しかけてきたのだ。

もうひとつはボストンから発った帰りの飛行機内でも、一人、ASLのできるスチュワーデスがいた。スチュワーデスという職業柄というせいもあろうし、アメリカという国が、きっと障害者を障害と感じない対応に慣れているのもあるだろう。また、ギャローデットやロチェスターといった大学のある都市ゆえに、あのあたりは世界中のDEAFが集まる地だから、ASLも普及しているのだろう。相手が「日本人」でも、きこえないと知るや、表情も変えずに、相手がフランス人と知ったならフランス語を繰り出すかのように、「ならば、ASLで話そう」といった感じでほんとうに自然に手が動き出すのだ。

4年前はかたことレベルを苦労して覚えたはずなのに、悲しいかな、使う機会もなければ当然に、すっかり忘れてしまっている。こんなとき、「(DEAFなのに)ASLは分からない」というのも少し悔しいというか、ふがいない。きこえないことが全て手話に結びつくわけでないのだと、僕たちはいつも主張しているけれど、でも、個人的にはできるにこしたことはない。

今度行く時は、せめて、「残念だ。僕は今はASLはできないんだけれど、今度くる時はきっとマスターして、あなたと話したいね」だけでも、覚えていこうと思う。


 

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