続・旅行中のコミュニケーション

きこえないということ

「きこえないことは承知の上で・・・」とは言ったものの、団体ツアーの中で自分ひとりだけがきこえないのは何とも居心地が悪いというか、みじめでつらいものがある。

これは、同じ聴覚障害を有する者へなら説明を要しないことだろうが、僕たちにとって届かない音声情報は2種類あるといえようか。

ひとつは生きてゆく上で最低限必要な情報で、それによって自分がどう対応し、振舞うかといった行動指針になるもの、例えば、飛行機や列車の遅れを知らせるアナウンス、仕事上の指示、各種色んなお知らせ。

もう一つは、人間を人間たらしめているもの、つまり、それ自体が絶対必要だからという目的で交わしている訳でないけれど、相手との関係性を築くために行われる日常の何気ない会話、おしゃべり、雑談といったもの。

前者が機械的な音声情報でもある程度代用できる、情報の発信者の人間性がさほど問われないのに対し、後者は、生身の人間という相手との間で交わされるのもので、別の人間(モノ)で代替されることになじまない、つまり、コミュニケーションの本質をなすものであり、人間性をつくり上げる。

「自身が行動するためのもの」と「他者と関わりを有するための橋渡し」。単純に分けられるわけではないが、分かりやすく言って、僕自身はこうとらえている。

団体の中で

成田空港の集合場所で初めてお会いした添乗員には、最初、こちらが説明するよりも先に気さくに書いていただけた。これは感じのいい「当たり」の人だな、と期待させたのだが、残念ながら、書いてもらえたのはこのときだけであった。自身もマラソンを走られる、年賀状までいただけた良き添乗員だったけれど、20人以上のツアー客を率いるビジネスとして、メンバー中の一人の聴覚障害者にかまっていることができないのは当然だ。

指定された時間になると、搭乗ゲート近辺に全国からの参加者が揃う。

レース会場に集まるような人と雰囲気の違うのが意外で、年配の方が目立つ。そして、夫婦での参加が多い。確かに、働き盛りの年齢では4月の年度初めに休みなど取れないだろうし、夫婦参加が多いのも、僕も次はそうしようと思うが、奥さんを残して一人で海外旅行を楽しんだりも普通しない(できない)だろうから。

20数人が揃ったところで添乗員からの説明が始まる。もちろん、きこえない僕には何のことかさっぱり分からない。他の参加者も、まさかこの中にきこえない人間が参加していようとは、考えもしていない。各人に配られた数枚の搭乗券(乗り換え分と、添乗員が同行しない帰路分)について、ビザのことについて、何やら念入りな説明がなされているが、僕はただ、突っ立っていることしかできない。まさにデクノボーのように直立不動の姿勢で、そこに行き交っているであろう言葉を思う。

あふれる音声情報の中で

突っ立っているだけなら皆、同じなのだが、心の中で一人葛藤している自分がいる。たとえここで

「僕はきこえないので説明が全く分からないのだけれど・・・」と言ったところで、他の参加者もどうすることもできない。これから海外に飛び立とうとする不安と期待の高まっている中では、自分のことだけで精一杯だ。もちろん、要所はあとで添乗員に確認させてもらうつもりでいるし、いつものことと思えばそれまでだけれど、やはり、旅のしょっぱなからこれではイヤになる。気分がふさぐ。

「やれやれ。こんなことなら一人で来た方が余程ましだ」

きこえないことで、「他のお客様に迷惑になるかもしれない」なら、自分の責任の範囲で行動した方が気持ちいい。「きく」方は無理でも、「読む」英語はなんとかなる、「話し」「書く」のも、そこそこはできるという自信がある。ワシントン、ロチェスターの前回がそうだったように、自分の意思は伝えられるし、書いてくれとお願いすれば日本よりも気さくに書いてくれる。

ツアー同行の日本人にきいて、間接的でおぼろげな情報を得るよりも、ずっと早く、正確である。負け惜しみではなく、耳がきこえて団体生活ができるより、きこえなくても自分の意思で行動できた方がいい、僕はそう思う人間だ。そして、アメリカという国自体がそういう国だ。

たとえきこえなくとも、両親から授けられた二本の足に感謝し、「研究社ハンディ英和和英辞典」を友にすれば、一人の方が存分に楽しめる。団体行動が窮屈に感じられるのはツアーなのだから仕方ないのだが、幸い、今回は自由時間も比較的多くて羽を伸ばせた。

ボストンの地下鉄で

現地の人とのコミュニケーションは全て筆談をお願いした。

といっても、今回はあこがれのレースを走ることが目的だったから、そんなに「親密な」コミュニケーションというレベルではなくて、「用件を済ます」のに、全て書いてもらったということだ。

レース前日のフリー日程のとき、ボストン美術館を訪れたことは以前に書いた。そこに行こうとしたときのこと。

ボストンはバスよりも地下鉄が整備されている。色んなライン(路線)があるようだが、一体どれに乗ればよいのか? 改札らしきボックスに座っている黒人男性にたずねてみた。

I'm deaf. I want to go to Boston Museum. What to do?

メモ帳に書いて差し出してみる。

ボストン美術館
ボストン美術館

文法はどうでもいい。余計な前置きも説明もいらない。単刀直入に聞くのが一番だ。ついでに言うと、これを「口で言ってしまうと」(Speaking English)相手も当然、きこえるものと思うから、話し言葉で返してくる。書いてもらおうと思うなら、こちらが最初から書いてお願いした方が賢明だ(これは日本でもそうだ)。

でも、この黒人男性は書いてくれない。こんなことには関わりたくないような、憮然とした表情で何やらつぶやいている。

もう一度、

「ボストン美術館に行きたいんだけど」

Write here please. I'm deaf.

と、これはしょうがなく「言っ」たら、しばらくして、ようやく書いてくれた。

「E」 ・・・差し返されたメモ帳には、ただ一文字。

どうやら、「Eラインに乗れ」ということらしいが、日本の地下鉄やJRであれば、サービス精神のかけらもないこんな反応はまずあり得ないことだ。まあ、アメリカではスーパーのレジ店員にしろ、ファストフード店のバイトにしろ、対応がそっけないのは共通しているけれど。

コープリー駅・ライン図
コープリー駅・ライン図

滞在中、足しげく通ったベーグルショップでも、何度行っても店員の子を不機嫌にさせてしまった。

「全くもう、トロいJapaneseねえ。なんで私がこんなやつを相手にしなきゃいけないのよ。今日は朝からついてないなあ」なんて、そりゃ僕の注文が要領を得てないせいだろうけど、そんな、怒らなくったっていいじゃないか、と申し訳なくなってしまうほどだった。日本では外国人が大きな顔をして闊歩するのに、日本人は外国に行くと小さくなってしまう。ああ、わが祖国の悲しさよ・・・。

ニューヨークが流行の発祥となっただけに、東海岸の都市にはいたるところにショップがあって、4年前のワシントン以来のめりこんだ、バスケットにわんさかと放り込まれる多種のベーグルはおいしかったけれど、もう少し愛想よくしてほしいものだとも思った。でも、日本のマクドナルドみたいに、相手がきこえないのに、にっこりスマイルで延々、一方的にポテトをすすめようとするよりかは、人間的でいいのかもしれない、あるいは。

地下鉄のトークン

無事、地下鉄に乗れた後に思ったのだけれど、あの男性はあるいは文字が読めなかったのかもしれない。識字率の高さで世界有数の日本と同じ尺度で外国を見ることはできない。

これは他の駅でもそうだったのだが、改札に座っている人も「社員」という感じが全くしない。ほとんどが黒人で、仕事をしている感じでもない。電話ボックス程度しかないスペースに、ただ、黙って座っているのが唯一の仕事のようだった。もしかすると、市の政策の一つなのかもしれないと、勝手に想像してしまう。

もうひとつ、余談。路線も分からなかったが、料金も分からない。ついでに時刻表もない。本当に、ありとあらゆることがご親切に用意されている日本と違って(それでも日本人は迷うのだが)、ここでは何も書かれていない。おおよそ、日本に見られるような表示板というものがない。これも“How much?” と手のひらにいくつかのコインを差し出してきいてみたら、1ドルだと指差して教えてくれる。

改札は、遊園地によくあるような、ガチャンと押し下げると一人分通過できる、テトラポットみたいなレバー式の金属パイプで、その手前にコイン挿入口がある。ところが挿入口に1ドル硬貨は入らない。ならば50セントを2枚か? と思って入れてみるのだが、それでもレバーは回らない。他のAmericanはすいすい通ってゆくのに、

「Japaneseだからバカにしてるのか、この野!」と思ったが、2度入れても同じだ。仕方ないから、黒人男性の彼にはお手上げポーズをして、レバーの隙間を強引に通り抜けた。「Americanの体格じゃあ、きっとくぐり抜けられないんだろうな、ヘッヘッヘ・・・」なんて、こんなことで見返してどうする? 彼は一瞬、眉間に皺を寄せたが、「勝手にしろ」とばかり、それでも全く動こうとしなかった。

これも次に乗った駅で気付いたのだが、改札の手前に両替機のようなものがあって、ここで1ドルを「トークン」とよばれるコインに換えるのだ。全線一律料金だから、料金表も要らないという訳。ちなみに、僕をボストン・マラソンに行かせた一番の影響が村上春樹と最初に書いたけれど、春樹氏の作品の多くで安西水丸氏というイラストレーターが挿絵や表紙カバーを担当している。その水丸さんの作品に、

トークンへの両替機
トークンへの両替機

「そういえば、『地下鉄のトークン』というニューヨークを舞台にしたクリスマス小説があったよな」と、ようやく納得できた。

ついでに、もうひとつ──地下鉄ついでに次々脱線するが──、そういえば、もう10年以上前のクリスマスにこの本をあげた、仲の良かったあの子は元気でいるかな? と、ひょんなことからこうしてアメリカの地で、最近、会うことのなくなったクラスメートのことを思い出すなんていうのも感慨深いものだ。

地下鉄のことも路線のことも、帰りの機内でやっと目を通したガイドブック『地球の歩き方』を事前に読んでおけばすぐに分かったことだが、そんなこんな、回り道も旅の醍醐味だ。

コミュニケーションがとれなくて苦労するとはいっても、聴覚障害者にも何かのきっかけさえあれば、時間さえあれば、聴者とぐっと親しくなれる。旅の面白さはこのきっかけを、ふとしたこと、思いがけないことがもたらしてくれる点にある。会話ができず、すぐにはうちとけられなかったツアーの人たちとも、旅の終わり頃には親しくなり心を開くことができた点について、次号で。


 

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