続・ボストンマラソンについて

惨敗

これまでいい気分で書き続けていたが、実は、今回のレースは正直に言うと惨敗であったことを告白せねばならない。

これまでに8回走ったフルマラソンの中で、こてんぱんにやられた昨年の玉造マラソンに次ぐ悪さだった。タイムは二の次として、マラソンの楽しみというのは、42.195kmという距離をいかにペース配分するか、レースを自分でうまく組み立てて走れたかどうか、ということに尽きる。

ホプキントンのスタート地点に集まる選手・応援者ら
ホプキントンのスタート地点に集まる選手・応援者ら

誰しも35km以降の恐ろしい壁を経験するのだが、うまく走れるケースというのは後半になってもタイムが落ちず、むしろ後半にこそあげてゆける走り方である。そういうときは、先を走っていた者を面白いように抜けてゆく。残り10k、5kになっても「よし、まだ行けるぞ」という思いがわいてくる。力強さを失っていないとき、体の芯から熱くなってくる。この心の昂ぶりは他に例えようがない。

逆に失敗したレースというのは、足にきてしまう。"脚が死んで"しまう。一度足がやられてしまうと、あとはもう、ゴールまで地獄のような時間が延々と続く。やっとのことで足を前に出している、今すぐにでもこの場を立ち去りたい、もうやめたい、立ち止まりたい、泣きたくなってくる屈辱感に襲われる。実は、これが一度や二度ではない。一度経験していて、今度は前半抑えて行くぞと思っていても、非情にも何度でも襲われるのだ。だからマラソンは奥の深い競技で面白い。

最近でいえば、昨年9月の玉造マラソンがそうだった。自分が走るという競技そのものに向いていないのではないか、と思わせられた。けれども、玉造はまだ暑さの残る時期の耐暑レースであったから、タイムが出なかったことは当然なのだ。今度はまだ気温も低い、シーズン中でもあるし、山本佳子選手(元ダイエー)や有森裕子らがボストン初参加で自己新を出したように、世界から記録更新を目指してやってくる決して悪くないレースコースなのだ。コースがどうだとか気象条件がどうだという言い訳はできない。

レース内容

こんなはずではなかった。ボストンのコースは前回説明したとおり、内陸の町ホプキントンをスタートして海に向かう、全体的には下りのコースである。甘く見たわけではないが、やはり「下りならタイムも出せるだろう、あわよくば防府で出した自己ベストの更新も・・・」と考えていた。

失敗の言い訳を作るのは簡単だ。日付変更線を越える長いフライトと時差の影響、初の海外レースで浮かれた気分と落ち着かなさ。 元カネボウ監督で、ローマオリンピック代表の貞永さんといえば、陸上界は当然のこと、山口でその名を知らぬ人も少ないだろう。その貞永さんも同じことを述べておられる。

ボストン・マラソン出場のため、初めて海外遠征したのは54年4月でした。・・・慣れないベッドで夜も眠れない。コンクリートの道は硬く、成績は10位と散々でした。この轍を二度と踏むまいと、帰りの飛行機の中で反省点を手帳に書き留めました。世界の舞台で負け、闘志をかきたてられたんです。

(読売新聞「こころの四季」抜粋)

とりわけ今回はシーズン中の多くのレースで蓄積していたしつこい疲労──ボストンを含め5年で経験したフルマラソンは計8回、そのうちの5回をわずか8ヶ月で走ったことになる──等。事実、新年度の健康診断では、数年来改善していた貧血もまたぶり返してしまっていた。そんな具合に自分を慰めることはできるが、でもやはり、決定的に実力が足りない。

マラソンの面白さは、こんな風に自分の弱さも情けなさも屈辱感も全て直視できること。走っている最中、次々に追い抜かされてゆくみじめさはつらいけれど、でもこれがまぎれもない未熟な自分の力なのだ。

スタート前は余裕だったのに〜先導のpoliceと
スタート前は余裕だったのに
〜先導のpoliceと

招待選手以外の一般参加は持ちタイム順にゼッケンが決まり、スタートもゼッケン順に並ぶ。今回、僕のタイムは比較的良かったようで、134,088人のエントリー中、一般参加ゼッケンは1000番代から始まる、その1160番であった。スタート時、ロープで区切られた招待選手達をすぐ前に見ることもできた好位置であった。

耳の聞こえない自分には分からないのだが、愛国記念日のこのレースの日、スタート前には、なんでもアメリカ国歌が斉唱されるらしい。そんな式典の進行も間近に見ることができた。

「ああ、いよいよなんだな」と日本から数千キロ離れたボストンにやってきて、憧れのレースのスタートラインに立てた瞬間は、自分でも少し感動に浸っていたい気もしたのだけれども、レースというより州の休日に開催されるお祭りを皆が楽しみたいという雰囲気で、不必要な緊張をほとんど感じない、なごんだ雰囲気だった。空には、企業広告をつけた気球船が二つ、ゆらゆらと交互に行き来しながらずっと選手達の頭上を泳いでもいた。

アメリカという国の層の厚さ

最初の下りが急だから、もちろんそこはセーブしながら走ったつもりが、レース途中までいかないうちにひたすら追い抜かれてゆくことになる。

ゼッケンナンバーはすなわち、走力の順でもある。最初しばらく抜かれるのはレベルの前後する選手同士のことだと納得できる。フォームや後姿の筋肉を見れば鍛えているかどうかも一発で分かる。でも、30km、40kmとなるにつれて、「こんな人にまで・・・」と思えてくるのだ。どすどすと音まで聞こえてきそうなほど、太ったアメリカ人女性。お祭りに参加することが全てで、どう考えても普段、走っているわけがないような陽気なヤンキー達。

彼らに次々に抜き去られてゆくと、アメリカ人のパワー、層の厚さというものをつくづく思い知らされた。こんな国と戦争して勝てるはずがない。敗戦後の日本が急成長でアメリカに追いつき、追い越したといっても、国民気質が違うのだ。日本は血眼になって髪を振りかざして死に物狂いで努力する。「刻苦勉励、努力・練習こそ全て」だ。もちろん、たいした才能のない僕自身、そのことに疑いを持たないし、とりわけマラソンという競技はその最たるものだと思っている。

日の丸を背負って走るような一流選手は、オリンピックでも世界選手権でもものすごいプレッシャーと勝てなかったら何を言われるか分からない極度の緊張感の中で、いつも切羽詰った悲愴感を抱えている、日本はそんな国だ。今回のゴールでも、健闘した日本の女子選手がゴールと同時に倒れこんだ。

日本は「倒れるまで頑張った」というその姿に、美意識を感じて賞賛を送る国だが、かの国には奇異に映るのだろう、意識を失って役員に両脇を抱え引きずられて手当てを受ける姿はTVニュースでも、翌日の新聞にも大きく取り上げられていた。一方、彼らは何事も"FUN=楽しんでいる"、ように見えるのだ。「今日は州の祭りだから、ちょっとマラソンを走ってくるよ」といった感じだ。彼らが本気になったら絶対にかなわない、と思った。

「これが世界なのか」とも痛感した。国内で満足するだけではダメだ。かつてテニスの松岡や伊達らがそうだったように、今またサッカー界がそうであるように、一流選手は自ら、海外に身を置き、世界を転戦することで修行する。異国の地で一人で生活する中で身につくたくましさや経験の差が本番にも出てくる、というのはこのことか、とも思った(自分のレベルはさておき・・・)。

ボストンまでやってきたのに・・・

とにかく、ショックなレース内容となってしまった。

20kmあたりから、「まずいな。ペースが落ちてゆくし、足も前に出ない」と思ったら、25km以降はもう、この分で最後まで走りきれるのかどうかだけが心配になった。国内レース(防府、別大)なら関門制限があるから、(走りたくても)逆に走るのをやめさせられてしまう。でも、今回は希望に胸を膨らませて、ボストンまで乗り込んできたのだ。棄権だけは避けたいと思い、何十人、何百人に次々抜かれるみじめさに必死で耐えた。スタート時はまずまず暖かいと思えたけれど、レース中に冷え込んだ気温もますます体を固くさせた。

コースは前半の下り坂を過ぎた後も、上下にゆるやかなアップダウンが続く。おなじみ、心臓破りの丘(Heartbreak hill)を「さほどのものと感じなかった」と前回書いたのは、もう、感じる力がなくなっていたという方が正しい。

終盤、腰の落ちたバテバテの走りで表情もうつろ・・・
終盤、腰の落ちたバテバテの走りで表情もうつろ・・・

道路というのはわずかでも傾斜を登りきったら、その後はまた、当然、少しでも下り坂となる。息も楽に足が前に出てゆくのが普通だ。自転車で坂をおりる快感を思えば想像しやすいように、「あそこの坂までがんばれば楽になれるはずだ」と自分を奮い立たせることができる。ところが、後半は、下りを走っているはずなのに、自分にはそれが下りだとは感じられないまでになっていた。下り坂で呼吸を楽にすることも、ペースをかせぐこともできないまま、上り坂だけが繰り返しあらわれてくるような錯覚に襲われた。

ツアーメンバーのうち、持ちタイムが自分の次の人にも40km地点で最後に抜かれてしまった。8つの市を駆け抜ける、その最後のボストン市に入り町並みが開けると、選手たちも最後の力を振り絞ってペースをあげようとする。だから余計に僕の、もう、いつ立ち止まるべきか、ほとんど歩いているようなペースがひときわ目立って情けなさを一層大きくした。

それでもなんとか頑張れたのは沿道のものすごい応援のおかげだ。次回はこの応援について。


 

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