ボストン・マラソンについて

ボストンマラソン

boston snap

自分自身大いに楽しめた旅行を振り返りながら書き記す旅行記は、書いていてもとても楽しく、今回で4回目にもなった。

普段からマラソンを走るというと、「すごいね」とよく言われるけれど、時間で言えば、3時間前後、ちょっと長めのTVドラマや、映画を観ることとそう変わらない。それと同じで、僕のうちではこのボストン旅行記は、レースにたとえるならまだ、コース半ばまでも達していないくらいのつもりなのだが、でも、そろそろ本題に入ろう。

今回は、ボストン・マラソンについて──。

ボストン・マラソンの由来

ボストン・マラソンは毎年4月の第3月曜日に開催されると決まっている。この日は、ペイトリオッツ・デイ(Patrots Day=愛国記念日)と呼ばれるマサチューセッツ州の祝日にあたり、前回、ボストン・マラソンがアメリカ独立記念日に関係していると書いたのは、このことである。

ここで少しまた歴史を振り返ってみる。

"ボストン茶会事件"で頂点に達した本国イギリスと植民地市民の間の緊張は、ついに1775年4月、レキシントンで両軍の衝突をもたらし、ここに、この後約8年間にわたる独立戦争への火ぶたが切っておとされることとなる。この4月19日のレキシントンの武力衝突がアメリカ独立への第一歩となるのだが、このとき、前夜のイギリス軍の集結にいち早く気付き、その侵攻を知らせるため、レキシントンに向けて馬を走らせたのがポール・リビアである(そうだ)。

ボストン・マラソンは、アメリカを救うこととなった、この"ポール・リビアの真夜中の疾駆"をたどるために開かれている。

今回が105回目の、当然ながら、アメリカ最古のレースである。ちなみに日本で最高レベルの福岡国際マラソンでも前回で54回、その他には別大が40回記念、防府は31回であった。マラソンという競技は、古くから日本人選手が得意としていたお家芸のような気がするのだけれど、意外に歴史はアメリカの方があるものだと知って驚く。

じゃあ、ボストン・マラソンは、そのポール・リビアだかモーリアだかの駆けたレキシントンへの道を走るのかというと、そうじゃなくて、何度かコースも変更になったらしく、今は、ホプキントンという郊外の町からボストンをゴールに走っていくコースになっている。普通、マラソンというのは、ハーフでも、市民マラソンの10kmの距離でも、ご存知の通り、スタート地点がそのままゴールになるような往復(折り返し)コースがほとんどなのだが、ボストン・マラソンは、珍しく折り返しのないレースで、ホプキントンからボストンまでをひたすら進む片道コースとなっている。


ボストンスケッチ〜ボストンマラソンコース図
ボストンスケッチ〜ボストンマラソンコース図

山口でたとえるなら、山口から津和野までの距離がおよそ50kmなので、その手前の阿東町をスタートして山口線に沿って下り、山口を経て防府をゴールに走り抜けていくような、ちょうどそんな感じだ。実際、山の中の田舎の地をスタートして、坂を下りつつ、海に面した町に向けて走るところが似ている。これは、山口をスタートして、逆に日本海側の萩に向かう萩往還を走ったときにも感じたことだ。

ボストン・マラソンも、そのビッグネームとは裏腹に、非常にのんびりとした、かなりローカルなコースになっている。

スタート地点のホプキントンという町は、村上春樹氏の言うとおり、

ボストンからちょうど26マイル(42キロ)離れているという単純な理由から出発地点に選ばれなかったとしたら、おそらく誰の注意も引かずに存続し続けたであろう。

まさにそのとおり人口2500人の本当に小さな、何もない町である。その何もない、飾らない町が、それこそ世界中から鼻息も荒く乗り込んできた1万人以上のランナーを、何でもないようにひょいと受けとめる。そして、世界に名だたる有名なレースの号砲を打って落とす、その淡々とした、これまた懐の広さというのがまたアメリカらしいところだなと思えた。

「ホプキントン」という名前も愛くるしくていいね。

ボストンマラソンコース

今回はツアーで訪れたこともあり、ボストン入りした翌日(レース前々日)にバスでホプキントンを訪れてからコースを下見することもできた。コースの下見とはいっても、海外にやってきたのが久しぶりなのだから、興奮さめやらぬままのハイな旅行気分である。すべからく下見どころではない、ただの観光となってしまったところもある。ボストン・マラソングッズを売る店が出ているホプキントンでは、早速ジャンパーを購入。開催年ごとに色とデザインが変わるようで、レース日ともなると、ここ数年のジャンパーをはおったランナー達が町を埋め尽くす。2001年の大会にあえて、数年前のを着てやってくる、すらりと背の高い女性が粋でかっこいいのにはやられた。

アメリカという国

バスの中では小学生の遠足のように、身を乗り出して外の景色をながめる。郊外の町の、森の中を抜けて行くコースなので、道沿いに建つ家なんかも"おとぎの国"のような不思議な雰囲気がある。空に向かって伸びる樹木の背の高さ、そして幹の太さ、そうした落ち着いたたたずまいの街並みを目にしていると、日本よりはるかに歴史を感じさせられる。ただ単に年数が経っているのではなく、そこに息づく静かな文化が感じられる。

確かに日本にも、神社や仏像の類に誇るべき歴史はあるけれど、それは日常生活とは切り離された観賞用という側面が大きく、家や道路や街路樹に歴史と文化を感じるところなんて少ない。あるとしても、それは、たいてい観光地として特別に整備されているからだ。それが、ここでは、たかだか400年の歴史しかもたないはずなのに、街全体を覆う美しさがある。

コース沿いに建つおとぎの国のような家(ベンチでカップルが記念写真を撮っている)
コース沿いに建つおとぎの国のような家
(ベンチでカップルが記念写真を撮っている)

空間をデザインするセンスというのが、どうしてこうまで違ってくるのだろうと思う。

この日が土曜日だったせいか、コースの道沿いを多くの市民が走っている。老いも若きも男も女も、といったところだ。チャールズ・リバーでもそうだったけれど、ボストンにはジョガーが多い。世界的に栄誉なレースが身近にあるのだから、まあ、当然といえば当然かもしれない。

見ていてうらやましいのは、日本と違って、排気ガスと段差と、センスのかけらもない看板が立ち並ぶ町の中を走るのではなくて、緑の中の道路を走れるということ。それだけでもいいのに、さらにいいなと思えたのは、歩行者専用道というか、ジョガー専用のレーンらしきものまであるのだ。日本のように、道路の端っこに歩道があるんじゃなくて、車の走るレーンの真ん中の、樹木が植え込まれている場所のところさえある。もちろん、アスファルトではなくて、芝と土のコースだ。

思うに、大会には出場できなくても、そのコースを走ってみたいというのは市民の自然な感情であって、あんまりコース沿いを走るジョガーが多いからか、あるいは陳情を受けてか、コース沿いの市(ボストン・マラソンコースは8つの市を駆け抜ける)がお金を出しあって、それ専用の道路を設けたという感じだ。

走っている男女比は同じくらいか、あるいは女性の方が多く、このあたりもウーマン・パワーを感じさせた。中にはベビーカーを押しながら走っている女性までいる。「仕方がないわね、ぐうたらサムには頼めないし」と、ご主人に預けられない何らかの事情があるのか、あるいは、これも早期英才教育の一環なのか、走るついでにベビーカーを押しているというような感じで、これには、走るのが好きな連中のツアー一行も、バスの中で大きくどよめいた。

ボストン・マラソンコースには、途中20マイル地点で、有名な"心臓破りの丘"というのがあるのだけれども、バスに乗っている下見の時には見落としてしまった。きっと説明もあったと思うのだが、景色に心奪われている上にきこえないのと、これは走っていてもさほどのものだと感じなかったせいもあるのだが、名前ほどのものとは気付かずに乗り過ごした。

ただ、面白いのは、公式レースガイド(案内書)のコース図にも、心臓が破れている、日本の例の「失恋マーク」で"Heart Break Hills"としっかり強調されていること。どんなコースにも多少は、勝負の分かれ目を決するようなポイント──例えば、シドニーオリンピックの時は、リディア・シモンを含めた3人のトップ集団の内、高橋尚子がギアを上げて加速し、市橋有里がおいていかれたアンザック・ブリッジのところ──があるものだが、公式レースで「失恋マーク」を載せる茶目っ気もいい。「ほらほら、見せ場はここだ!」と参加者をびびらせるどころか逆に楽しませてくれるような感じがあって、なんか平和だ。

一体、いつになったらスタートするのだろう? なんか永遠に続いてしまいそうで僕もこわいのだが、もうしばらくおつきあいを願う次第です。


 

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