Passion 情熱
受難、受動、情熱
3連チャンになってしまう関連エントリ。
昨日、日野原さんの99歳にして受難劇観劇のためにドイツに向かう元気のことを書いた、まさしくすごい「情熱」だよなぁと今日一日も思い続けていたとき、「情熱、はて?」と気付かされたこと。
受難劇は「Passions-spiele」。spiel は英語表記なら play とされる。ここでの spiel は劇、芝居の意だが、ドイツ語でも「spiel」は「遊び、試合、プレー・・・」といった意が第一義。パッションはいうまでもなく情熱だから、すると受難劇は「情熱プレイ」?
日本人でも英語に長けている人、あるいは敬虔なクリスチャンなら当然、承知のことかもしれないけれど、「passion」(独語ではパスィーオン)には「受難」の意味がある ── ことを今日、初めて知った。このあたりは、そもそも「受難」という言葉になじみのない、宗教の違う民族には理解が難しい。
調べてみると、詳しい解説があって。
ドイツ語学エッセイ:キリストの情熱が受難を招いた?(その1)
その2、3まであってとても長い文学的、歴史的解説がなされている。先月の日経「私の履歴書」執筆の哲学者・木田元氏の世界大百科事典解説も引っ張られて「ことば」の奥深さ、面白さが語られている。最後のまとめによると
- 英 passion と独 Passion は仏 passion からの外来語である。仏 passion 自体は後期ラテン語の passio から来ており、これはさらにギリシャ語の pathos をルーツとしている。
- 希 pathos も羅 passio も基本義は「受動」、つまり「なんらかの動作・作用を蒙ること」であり、ここから (1) 体験・経験 (2) 受難・受苦 (3) 感覚・感情 といった意味が派生した。
- (3) が後に激しい感情を表すようになり、熱情、熱狂という意味となった。
まとめも端折るとこういったところで、そんなわけで「passion」は元の意の方が受難であり、またそれゆえに「passive」が「受動」であり「受け身」である。感情は今でいう「情熱」の意のようなものでなく、否定的なものにとらえられていた。
ふぅ・・・。英語公用語化論盛んなこの頃、英語の得意な人でも何かの本を読んでいて、ニュースを目にして「passion play」はぴんと来ないだろうね。熱狂的なゲーム? くらいに思える。簡単なような「パッション」もこうして、西洋の宗教や文化やを前提としていないと理解しにくい。
ともあれ、自分には日野原さんの「情熱」のおかげでいい勉強になりました。

こちらにも
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