鉄道員でもあった父

休業中

鉄道員(ぽっぽや)

鉄道員(ぽっぽや)
高倉健(TAKAKURA KEN)

3日前に最後の運転をしていたことの続きで、仕事も死ぬ直前までしていたこと。

15の時から長く勤め上げた会社を退職し、再就職後にも仕事は何箇所か変わったが、特に70代以降は「本当によくやるなあ」とひたすらに感心させられていた。昭和ヒトケタのこの年代の傾向というのもあろうが、趣味がないというのでなく、とにかく仕事が好きということ。

主には建設系のようだったが、何をしていたのかは僕も知らない。元が整備工で直接、クルマに関わる仕事でなくとも機械を見るのはできていたようなので、そっちの関係や、もちろん高齢になってからは軽作業だったと思うが、最後の場所などは、それでもよく85歳まで雇ってもらえたものだとつくづく思う(そのためにも車の運転が不可欠だった)。

葬儀にも来ていただけたのだが、会社の社長は僕と同年齢。父は、人づきあいがいいというのとも少し違う、自分が人好きで誰彼に話しかけることを好む人間だったので、多分、周囲が皆、息子や孫以下の年齢の者とでもうまくやってゆけたのだと思う。つい以前にも触れた「天下り」なんてこととは無縁の、自分でどこからともなく仕事をみつけてはちゃんとやっていた、うまく渡り歩いていたのは本当に立派で僕自身が見習わねばと強く思っている。

これも車の運転同様、死んでから知って驚いた(呆れた)のだが、仕事は「休業中」扱いで、辞めたわけでは決してなく、元気になったらまた行くつもりだったらしい。。。

出発...

前回掲載したSL画像、今回の葬儀会場には初めて出向いたのだが、そこに到着する直前、「会館はこの隣だったのか・・・」と偶然の位置に感動させられた。父の勤務先がその昔、走らせていた鉄道をとどめようとOBがつくった記念公園(広場)。清掃ボランティアにOBの集まる月に一度の例会を父も楽しみにしていたらしい。

父が亡くなって通夜や葬儀のことを主な関係先に母が知らせることになるが、当然に母も動転し気を落としているので、分かってはいても、手際よく父の生前の交友関係に電話などはできない。父の勤めたこの会社関係者へも当然、連絡すべきだろうと思ったが、さすがに今では連絡先を知らない、知っていても退職して20年以上経っているので気が引けたというのもある、最後の勤務先に電話するのがやっとな状況だった。僕自身が今回、一番、悔やまれた、残念だったのも、きこえなくて電話を代わってやれなかったこと。普通にきこえていれば電話など全て僕が引き受けられたが・・・。

葬儀には連絡が間に合わなかったが、何という偶然か、勤務先の仲間の集まる、会社の形見を記念する広場に隣接した会場で弔われるなら、それこそ黙っていても昔の仲間に見守られているだろうと。ちなみに母がこの会館を選んだのもそれを知っていたわけでは全然なく、もちろん父はここで自分が棺に横たわるとも思ってもいなかった。そんな偶然にしては出来過ぎな人生の終わりを迎えたのも、迎えさせたのもすごいなと思える両親であった。

ちょうどSLの後方が葬儀の行われた会館で、機関車がこれから父を運んで発進してゆきそうな構図。その昔、観た映画「鉄道員(ぽっぽや)」には、同じく45年間を勤めあげた設定の健さん(ほどかっこよくないが)に1歳違いと同世代でもある父の姿が重なって映画の冒頭から号泣し通しであったのだが、時の経過と青空がそんな感傷も洗い流したのか、それこそ、銀河鉄道ではないが、このまま宇宙に飛び立っていったらかっこいいなあ・・・などと、通夜の日、一人、会館で一夜を明かした僕は勝手な空想などしていた。

20150924-2
防石鉄道78年の歩み

 

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