最後の打球

44年ぶりV、日ハム

44年ぶり日本一に輝いた日本ハムには大いに感動させられた。近年になく感激した。中日有利の評を覆して、蓋を開けてみたら4-1の圧勝。勝因がどこにあったか・・・は、既に各方面が伝えているとおりで、そちらに任せるとして、ここでは、個人的に思い出したことを交えて触れてみたい。

最終回の3つのアウトは・・・

テレビが新庄の涙顔を映していた9回表の最終回。「日本一まであと3人」。「あとアウト3つ」。最終回の3つのアウトの内容。意識してみている人は少ないと思うが、あれ、よくあるパターン。

すなわち、頂点を決めるような試合の最後の守備というのは、そのチームの、シリーズの要の選手のところに飛ぶものである。

  1. まずライトフライを稲葉が捕って1死
    ・・・稲葉は文句なしのシリーズMVP

  2. 次にショートゴロが金子→小笠原と渡って2死
    =選手会長とチームリーダー
    ・・・小笠原はシーズンMVPか?

  3. 最後はレフトフライを森本が捕ってゲームセット!

最後、新庄のところに飛んでもよかった。そうすれば、一層、彼に花を持たせる結果ともなった。森本を制して強引にとれなくはない位置の打球ではあったけれど、ただ、新庄自身がいうように、涙目ではやばかったろう。

それ以上にやはり、今シーズン、そしてシリーズ共に森本の活躍が著しかった。引退を明言している新庄から、今後は森本がその後継として引き継ぐのだ、バトンタッチされるのだ、ということをあの最後の打球は伝えているように、僕は思えた。

25年前、江川

25年前の日本シリーズ──。奇しくも、この年を機にリーグ優勝から遠ざかっていたのが他でもない日ハムである。

巨人VS日ハムの日本シリーズで、巨人が4勝2敗で日本一を決めたとき、マウンドにいたのが江川。僕は江川の能力は認めるけれど、大嫌いなので、ここで例に取り上げるのも本当はイヤだが・・・。

このときも最後、ピッチャーフライを江川がつかんで巨人が日本一をものにした。

普通、野球ではマウンド近辺のフライでも投手が捕らず、サードかファーストが捕るのがセオリーである。

ところが、このときは江川が「オレが捕る!」と周囲を制して最後の打球を己のグラブにつかみとった。非常に印象に残るシーンであった。

調べてみると、こんなページがあった。

伝説のプレーヤー 日本プロ野球/江川卓


なんでも、狙ってピッチャーフライにさせたそうだ。狙って三振を取るのは割と簡単(特に江川の力なら)。スライダーを引っかけさせてゲッツーにさせるのも常套手段。でも、狙ってピッチャーフライを打たせるとは・・・。キャッチャーフライでもセカンドフライでもなく・・・。そんなこと、できるのだろうか、と考えにくいところが、やはり怪物たるゆえんか。

このページにも記されているとおり、この年の江川は20勝を挙げて5冠王とシーズンMVPをとる大活躍であった。

13年前の夏、18年前の秋

今年の日ハムの選手会長は、僕とは「一」字違いの金子誠。プレーオフ、シリーズともに、しぶとい打撃と攻守が光っていた。

僕は高校時代の彼を、甲子園に出かけて見たこともある。彼を追って・・・ではないが、「高校野球は(ベスト8の8校がぶつかる)準々決勝が一番面白い」という親友Yと、山口から車で出かけた。

強肩、俊足、攻守・・・の大型遊撃手として「こういう選手がプロに入団して活躍するのだろう」と、当時からうなずける選手であった。それでもプロ入り後はさほど目立つ方ではなく、セカンドのレギュラーをかろうじて、というところ。打順も下位。あくまで「脇役」扱いでプロの壁の厚さがよく分かる。

夏は甲子園観戦、冬はハチ~神鍋高原でのスキー、と、遊びの拠点として出かけていた先が兵庫に勤めていたS。その年の夏は福岡からAもバイクで駆けつけて甲子園で落ち合った。帰りは日本海沿い9号線を車とバイクで山口まで。13年前の夏のことである。

話はさらに5年遡り、18年前の秋──

僕も身近なところで、自分や、また先輩らの最後の試合・・・というとき、こういうことが多かったのを目にし、また、自分で経験してきた。

レベルは全然違っても、小さな大会でも、僕も思い入れのある試合というのが、自分の人生にいくつか、ある。中で18年前の大学時代のこと。

YとSとAと僕は、もちろんチームメンバーである。優勝に歓喜し、晩秋の夜、美酒に大いに酔いしれた一日であった。

最後の決勝、当時のメンバーでする最後の試合で、最終回、やっぱりチームを引っ張った3人にサードゴロ、センターフライ、ショートゴロと飛んだことを今でもよく覚えている。


 

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