祝・金婚式

半世紀

父母が先月、金婚式を迎えていたので昨夜はそのお祝い。僕らと同じ10月、ちょうど40年違いということになる。50年、半世紀は本人達にとって言い尽くせない歴史があると思うけれど、お祝いできることは子にとっても幸せなことであり。普段はしない昔の話なども懐かしくできてよかった。


ところで、80歳になる父は今も仕事に出かけていて、それだけでも脱帽なのだけれど、また先日、母と話していてきいたのは、仕事とは別に昔の会社のOBがボランティアで鉄道記念公園の清掃にも出かけている、それがまた楽しみなのだとか。

鉄道員

父は昔、防府と徳地を結んでいた防石鉄道に勤めていた。周防と石見(島根)を結ぶことを夢に掲げた社名であったが、先に国鉄が山口線を開通させ、資金難もあって計画はかなわず。後、マイカーブームもあって鉄道事業から撤退、バス路線営業へと転換し、さらにその後、会社は防長交通に引き継がれた。鉄道の敷設されていたことは今は記念公園やかつての沿線にわずかに昔の面影を残すのみとなっている。

歴史的には姉と僕の生まれる間まで鉄道が走っていたことになるが、もちろん二人にその記憶は全くない。路線は防府の方はもちろんご存じ。県内のランナーなら実業団駅伝のコースといえば分かるはず、かつてのカネボウの選手らが走り込んだカネボウロードが今、バスの走っている県道24号線で、佐波川を挟んでその対岸、天神山側の県道184号線の方を鉄道が通っていたという。

ちなみに母の実家はこの鉄道沿線の奈美駅から徳山に向かう少し山の方にあって、当時はやはり鉄道、バスが生活の足だった。路線が二人を結んだというと言い過ぎだが、縁はあったようだ。盆、正月、母方の実家によく帰省していた、今も184号線はよく利用している。

もうひとつちなみに、母の妹(叔母)は国鉄に勤める叔父に嫁いだ。叔父の方は先に他界してしまったが、子どもらも年が近くて仲の良かった従兄弟同士、双方の父親が鉄道マンだったことになる。

父は最初、鉄道の、その後はバスの整備工として勤め上げたが、かつての仕事仲間らと清掃に出かける公園に展示されている機関車と客車には人一倍の郷愁があるだろう。

昨夜はそのこともあって映画『鉄道員(ぽっぽや)』のDVDをプレゼント。両親とも映画を観ることなどない、本も全く読まないタイプで、これは完全に息子の押し売りのようなものであるけれど気持ちだけ受け取ってもらえたらと思い。

鉄道員(ぽっぽや) [DVD]
鉄道員(ぽっぽや)

11年前の映画。厚意あってスクリーン字幕で観ることのできたときは最初のシーンから号泣させられっぱなしだった。今、思い返すだけでも涙腺が緩んでしまう。健さんも昭和ヒトケタで父と一つ違い。まさに叩き上げで仕事一筋に生きた男を描いた、僕の中では父にも叔父にも重なるところがある作品だ。

防石マンとして生きた父の、かつての鉄道路線のことは僕もほとんど知らないまま。今、ネットで見ると結構、他県からでもマニアや鉄チンの廃線めぐりというのが多いのに、当の息子が全く知らないのに情けなくなった。今度、冬の日の晴れた休日に沿線をたどる旅をしてみよう。少しまた両親と話も弾むだろうか。


 

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 comment
  1. E.I より:

    初めまして。
    私の父(89歳)も防石鉄道OBです。
    今日思うところがあり、インターネットで「防石鉄道 DVD」を検索したところ、あなた様のブログを拝見しました。
    既にご存じかもしれませんが、防府市のソラール館長ブログ:地域ビデオ「追想 防石鉄道」の中に、防石鉄道の歴史とともにOB会の活動状況の映像がありました。
    最近父は、体調不良等から鉄道公園の清掃には参加していませんが、防石鉄道への思い入れはすごく強いですね。
    あなた様のブログを見て、ついうれしくなって投稿させていただきました。

  2. より:

    はじめまして!
    更新の滞っているブログにコメントいただき、ありがとうございます。
    お父様には、父も大変、お世話になったことと思います。
    メールもしていますが、決して大きくも多くもない職場だと思いますが、こうして思いがけず連絡いただき、またお話をうかがうと共通することが多くてとても驚いています。
    私も非常に嬉しく光栄に思っています。
    今は消えた会社であり路線であり、というのが当事者にとっては余計に昔日を懐かしませるのでしょうね。
    父もよい職場で幸せであったろうと思います。

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