回顧2009

台北デフリンピック2009

2009年、今年は一にも二にもデフリンピックだった。マラソンで記録を狙おうと思えば年に3~5本、走れなくもない。数打てば当たるかもしれない、チャンスは十二分に用意されている。けれどもちろん、4年に一度の祭典の、代表に選ばれるのも容易でないチャンスだけに全力を尽くせたことが嬉しかった。

結果よりも、レースに臨む前にやるだけのことはやったという充足感に満足できた。

君原健二さん ── オリンピック3大会連続出場、出場した35レースで一度も棄権しなかった名ランナー。人生で会心のレースを問われて答えたひとつが、メキシコ五輪前年の別大マラソンで当時の国内最高記録(2時間13分33秒)を出して優勝したとき。

ただし、君原が会心というのはそのことによってではない。なにより「気力と体力を出し切って走れた」という思いがあったからである。


もうひとつは、タイ・バンコクでのアジア大会(1966年12月)。師走に入っても現地は暑く、30度はゆうに超えていた。湿度も高い。優勝タイムは2時間33分台であったが、「暑いなかをがんばり抜いた」という充足感を残してくれた。


マラソンランナー/後藤正治

君原さんでも、12月のバンコクではベストから20分遅れのタイムとなる。僕もかつての玉造マラソン、また前回メルボルン・デフリンピックがそうであるように、記録や順位よりも「がんばり抜いた」達成感は大きい。


常に全力で、試合が終わればユニフォームが真っ黒に。そんな選手でありたいと最後の最後まで思っていました。

広島、緒方の引退試合挨拶。本当に行動を伴ってきた男の言葉の強さに打たれた。自分もそうあらねばと大いに力付けられた。


厄年、なぜか関心高まる

ようやっと後厄の一年を満了。

全てを厄のせいにしてはいけないけれど、人生の然るべき時期に用意された節目としてうまく受け止め、対処してゆこうという自覚を持てたことは良かった。厄が明けて呪縛から解放されるわけでもないことにも注意しつつ。

1月に祓ってもらった際の「後厄之御守」は、年が明けたらきちんとお礼とともに納めにゆくつもりだ。お祓い自体はいつでも誰でもやってもらえるので、今後も毎年、受けようと思っている。

特にデフリンピックについては出発前の激励、帰国後のお祝いをたくさん、お礼し尽くせないほどですが、ありがとうございました。このブログも一年のご愛読、感謝しています。


 

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