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厄年、なぜか関心高まる
イベント化、将来の不透明感から?
(木札の半分)
名前を記入した片方を拝殿に納める
実は今月10日に防府天満宮に厄払いに行っていた。ブログに書きそびれていたら、今日の日経新聞・生活欄で「厄年、なぜか関心高まる」の記事になっている。
いわく、厄年を身近に感じ、気軽に厄払いをする人が増えている、イベントとして楽しもうとする現代人の気質がうかがえる──とのこと。
いやいや、僕はそんな軽い気持ちでなく、盆、暮れ、彼岸の墓参りは欠かさず、実家に帰れば必ず一番に仏壇を拝み、日頃のジョグ(今はできていない)でも道ばたのお地蔵さんに手を合わせ・・・と、仏心に篤い、信心深いつもりでいる。
防府天満宮の方は神道ということになろうけれど、ここで結婚式(神前)もした、子どもの頃からずっとお世話になっているところだ。
けれども、まあいわれてみると、記事にあるように今の風潮に自分も無意識にのっているのかもしれない。着物を着て行こうかと思ったくらいで・・・。
人生見直す契機
ここ四─五年で厄年に関心を持つ人が急激に広がっているという。
僕もこのブログで2年前の前厄の時からしきりに気にして書いてきた。
決して身に起こるトラブルや降りかかる災難を全て「厄」のせいにするつもりではなく、受け止めるべきはきちんと受け止めて身を処したい、という思いから──。人生の一時期に、それと意識して注意すべき時というのがあるのはいい節目になる。「厄」を忌むのではなく、うまく受け止め、かわしてゆけるように。
記事中でも同じように解説されている。
「厄年を個人的な行事として楽しむ背景には、自分の人生を、物語性を持たせて生きたい現代人の願いが込められている」
「決してネガティブなものとして否定せず、むしろ自分の人生を丁寧に見直す契機としてとらえているのではないか」
まさに然り。若い男女がデートを兼ねて、会社の友達同士が二-三人で連れ添ってくる例が目立つというように、僕も妻と一緒に祓ってもらった。もちろん、妻は厄年ではないが、問題なくやってもらえる。
ともあれ、試練の後厄──は、まさに今がその渦中。ここは心を強く持って静かに受け止めたい。
2009-01-29







