開智学校 / 思誠寮

1985年夏

月曜の日経新聞で、国宝指定の決まった旧開智学校(現:重要文化財)の来館者が増えているという。ちなみに昨日8月3日は、記念行事として解説付き校舎見学会があったようだ。

「和洋折衷のデザインなどが日本の近代教育の夜明けを象徴していると評価」され、近代の学校建築として初めて国宝に指定するよう答申された旧開智学校は、34年前の夏休みに信州ツーリングで松本市を通過したときに立ち寄った。当時はこの建築物の文化的価値をきちんと理解していたわけでないが、2週間のツーリングで立ち寄った(駆け抜けた)数々の想い出は今も印象深く残っている。

当時は撮影センスもまるでないが、ちょうど記事になった頃の7月27日に立ち寄ったことがフィルム(懐かしいな!)に残っているのが分かる。前後の写真を追うと、この日は朝、上高地を発ってから、この後に松本城に寄り、夜の宿は信州大学思誠寮にお世話になっている。今にしてみると濃厚なスケジュール。

思誠寮というのは、自分も大学時代の5年間が学生寮だったから、大学の寮というのが他の大学生(学生でなくても?)に旅の宿として部屋(共用室)を提供していたのと、自身の思い出が記されている北杜夫氏の「どくとるマンボウ」シリーズに感銘を受けていたから、是非にと立ち寄ったもの。ちょうど阪大のサイクリングサークルの方達も集団で旅されていたのと一緒になり、談話室で飲んだ写真が残っている。

当時の国立大学の学生寮というのが、そんな大らかな気風を残していて、それを不思議に思っていなかったが、今はどうなんだろう。残念ながら母校の学生寮は、キャンパスの移転に伴い教養部のが10年前に、本学のが昨年閉寮になってしまった。たとえそこに立ち寄ることがなくとも、形が消え、息づかいが感じられなくなってしまうのは寂しい限りだが、寮生というのがたいていそうなように、自分も大学時代の想い出のベースが寮生活で、付き合いの続く友人も皆そうだし、のかけがえのない時間を過ごすことのできた幸せを今もしみじみと思う。

開智学校」国宝に 近代建築の価値認める流れ (写真=共同) :日本経済新聞

「擬洋風建築」の旧開智学校 国宝指定で来館者2倍 (写真=共同) :日本経済新聞

1985/7/27

 

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