高校野球 市立和歌山v.s.鹿屋中央

悲劇の結末、の前のシーンを別の視点から

まさか3年前にエントリした高校野球(八商v.s.帝京)へのアクセスがずっと続くとは予想していなかったが、今日のエントリも3年後のちょうど同じ盆の日に見た試合。

世間がお盆休みの今日も、事業者を対象にしているためあえて土日や盆に開催している研修先での昼休み。食堂のテレビの真ん前でカツ丼を食べながらちょっとだけ観戦。正午過ぎの場面が映すスコアは8回裏の始まるところで1-0。ひいきのチームがあるわけでない、単純に高校野球のひたむきさが好きという関心レベルであるが、割と簡単に点の入りやすい高校野球で1-0というのは両チームともに好投手なんだな、というのがまず感じたこと。

さて8回裏、1点を追う鹿屋中央は先頭打者に代打。それで3年前のエントリも思い出されていたのだが、9回を待たずに控え選手に出番をつくるところが監督たるもの、まさにそうあってほしいと個人的にとてもシンパシーを覚えて俄然、こちらのチームの応援に身が入る。世には最後までレギュラーに期待をつなぐ非情な監督も少なくないが、特に打つ方なんて水もの。それまで打ててなければ、あえて交代して空気を換え、別の選手の可能性に賭けた方がいい。甲子園に来て1回戦で負けることとなっても、控え選手にもかけがえのない想い出を持ち帰れるように。

カメラは同時にブルペンで準備を始めた背番号10を映していた。TV解説はきこえないが先発投手への交替であることを知る。好投してきた先発エースを替えるのも勇気のいることだったと思うが、控え投手も甲子園のマウンドをふんで帰れるのはいいことだな、頻繁に切り替わる画面のベンチに立つ、若い面持ちの監督が一層好ましく思えた。

期待に応えて左前打を放った代打にはすかさず代走が送られる。ベンチも沸きたつ。レギュラーを含めたチームメイト皆が控え選手の出番も活躍も喜べる光景、それが僕の高校野球に見たいもの。まだ得点したわけでもない、代打の安打だけで監督がちょっと涙をぬぐったように見えたのは僕の思い込みだったか...

1番に戻った次打者はきっちり送りバントを決める。9回表の市立和歌山もそうだったが、ともにバントがうまかった。たかがバントというなかれ、基礎がしっかり鍛えられているのがよく分かる、それでこその両者相四つをみせる好ゲーム。2番打者は初級フルスイングも三ゴロに倒れたが次打者は3番の面目躍如、2死からきれいな中前打。打球が2塁ベースに当たって減速する幸運まで加わって(それがなくとも代走の足なら帰還できたろうが)あっぱれの同点ホームイン。

9回は両チームともに得点圏に走者を進めるもあと一打が出ず延長へ。僕は9回を終えたところで昼休みを30分残して席を立っていたが、試合はもうひと波乱、まさかの悲劇が12回裏に起こったようで鹿屋中央のサヨナラ勝ち。僕の見た20分は肝心なところではないかもしれないが、元々、僕にはどちらが勝っても、という思いもある。ほんの1回の攻撃ではあったが、充分すぎるほどにいいシーンに出会えた。

僕がよく控え選手の出番のことに言及する、そういうことが好きなのは、これは僕自身が障害をもつ身の強く感じていることで、社会に出てしまうと競争社会の名に正当化され、どうしても利権やおいしい場面や、は社会的強者、一部のものが独占してしまいやすい。出番や機会を持たない、というより「持てない」者も少なくない中で、それが「成功」なのだ、という考えに単純にはうなずけないところも大きいからだ。


20140813
夏草に夢の跡見る六月前
(歓喜の優勝を果たした駅伝からちょうど半年)

 

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