悔しさの違い

昨夜の報道ステーションで2大会連続2冠を果たした北島康介のちょっとした特集が放映されていた。

彼の活躍の軌跡が紹介されていて興味深かったのだが、少し、怪訝に思えたのは、(出版されたばかりの)本の一文がクローズアップされていた箇所。

いわく、シドニーで4位に終わり、帰国した成田で遭遇させられたメダル組の厚遇ぶりに対し、4位以下の自分らは何もなく解散させられた、その歴然とした差に「悔しさ」を感じたというくだり。

「ふぅん、そんなことで悔しさを感じるのか」とやや拍子抜けした。

5歳から水泳を始めて、競技とはそんなもの、もっというと1位と2位以下とではもう全然、違うことくらいは競技選手には当然のこととして分かっているはずと思えたので意外だった。

思うような結果が得られなかったのは自分の力不足、順位で上回った選手は相手が自分よりも努力したからで素直に敬意を抱けること。世間にちやほやされるのが望みなのか、例え負けても、注目されようがされまいが、自分に納得できれば充分じゃないか・・・と思うのだが、そこは少なからぬ強化費も注がれて勝利を宿命付けられた選手ゆえの心情もあるのだろう。

僕の場合、そんなことでなく、努力とは何ら無関係に与えられる機会やチャンスや・・・といったものが、いくら努力してもそれを得られない、同じスタートラインに立てない境遇を感じさせられるときに悔しさを感じる。それがしょっちゅうなだけに、同じ条件で競えた結果に悔しさを感じられる、というのはある意味、幸せなことだなと感じた。

もっともこれは北島の、というより、スポーツライターの手によるその本の内容や、視聴者ウケを狙って分かりやすいそこだけを殊更に強調したTV局の手法が白けて見えただけで、偉業は文句なく素晴らしい。


 

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