1991-2015オールスター in 広島

24年、2周り

オールスターは見るでもなくTVで2日とも見ていたが、1日目の投、2日目の広島勢の活躍、とお祭りとしては充分に楽しめる試合だった。

最初の職場が岩国だったこともあり、以前の広島球場には当時、何度か観戦に行っていた。1991年のオールスターも小さな思い出といえばそのひとつ。就職2年目、バブルが崩壊しつつあるのだとは誰も気付かなかった平和で無邪気な時代。銀行の広島支店勤務だった高校時代の友人の寮に(無理矢理)泊めさせてもらってチケット入手に並び、当時、親しかった子を誘って出かけた。親しいといっても特別な関係というのでもない、今もこのブログを読んでくれているかもしれないSさんと合わせて、もっぱら食べたり飲んだりが多かった、仕事外の面白い付き合い。

の、主題がそちらではなく、当時、驚かされたのが、近くの席で観戦していたらしく試合翌日に「いらっしゃいましたね」(エヘヘ~)と指摘された、まだ採用されて3ヶ月の職場の新採の子の方。平日の水曜日に隣の県の3万人収容の施設で見られていた、こちらは気付かなかったバツの悪さ・・・。そうそう、今また思い出したが、関門海峡花火大会という、下関側だけでも40万人超の人出のあるイベントでもばったり出くわしたことがある。浴衣を着ていた僕に「○○さん、セクシー(笑)」とからかっているんだか何だか、何事も臆面無くストレートに陽気な子であった。

世の中も人生も何が起こるか分からない、バブルは崩壊し、時代は一変し、皆もそれぞれに変わっていったのだが、その後、その子も仕事を辞めてしまった。しかも前任の子に続けて。僕の職場(職種)は景気の波にのまれない、いわゆる安定した、余程のことがなければ辞めるケースの無い、特に女性には結婚、子育てに非常に向いた仕事なのだが、よりによって僕にとっての最初の職場の、当時はまだ職場で唯一ともいえた貴重な女性職員が2人も続けて辞めたのは僕にとってかなりショックな出来事であった。前任は大学のクラスメートという特別な間柄でもあったし、オールスター観戦の子がそうだったように話のしやすい、話のできる関係として同じ仕事を続けていてほしかった。

さらには辞めただけでも充分ショックだが、人生の非情というのか、2人とも連絡さえとれない形になってしまった。本当に悲しいことだ。こんな形になってしまった事情の何とも歯がゆく辛いこと。僕を含めのうのうと残っている当時の職場の者も皆、程度の差はあれ感じていると思うが、今もこれからもショックを引きずり抱えてゆく喪失感の大きさは埋められない。僕の場合は自分の身のこともあるが、他に親友も何人か亡くしてきている、音信がとれなくなったりしている者も多く、なぜか、大切に思う人間ほど去られていく。

友人の勤めていた銀行はバブル崩壊の象徴として破綻した。長いこと冠スポンサーだった「サンヨー」もなくなった。オールスターといえばサンヨーの時代の人間からすると、今の野球人気、広島の人気は本当にすごいと思う。マツダの復活も。広島が希望を見せてくれているように、いつかまたきっと、時代の巡り合わせのあることを信じたい。

20150719

 

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