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レース会場でよく遭遇すること

レース会場でよくあったこと

日曜のレースでスタート前に話しかけられたことについて──。

こういうことは一度や二度でなく(十回や二十回でもなく)、また、色んなところでも度々、述べてきていることでもあるのだけれど、こういう時、せっかくの厚意に添えずに応えられないのは相手にも申し訳ないし、何より僕自身が非常に残念に感じる。

普通の人には、レースなり人の集まるところ、どこかに出かければその都度、何人でも新しい出会いがあり、世界が広がってゆく、それは何でもないことだろうのにね。僕には、せっかくのチャンスもそこで行き止まり。

透明なボール

よくコミュニケーションを言葉のキャッチボールに例えるけれど、相手が僕に投げ掛けてくれたことが分かっても、肝心のボールが僕には見えない。あたかも透明なボールであるかのように、どこに放られて、どこで受けとめればいいのか。キャッチできないと相手にも投げ返せない。

僕の場合、新聞や雑誌に掲載されたことが何度かあった、ということで、良くも悪くも変な意味で知られている。県内のランナーには僕のきこえないことを知っている人が少なくないだろうと思う。

理解してもらえている、という意味では嬉しいことでも、逆にそれがあだとなって「きこえないなら話しかけても仕方ない」と回避されていることがあるかもしれない。実際、職場や日常生活では、僕の耳のきこえないことが分かっていると周囲も僕に話しかけようがない。僕を通りこして、僕の頭上で会話が行き来する。

だから今回のレース会場で話しかけられたことは、ちょっと久しぶりで驚いた。しかも、僕のことを知らないで、でなく、僕がきこえないのだろうことを承知の上で確信的に話しかけてこられた様子だったから感激させられた。

さて、ここは笑い飛ばしてほしいのだが、そんなことを考えさせられて夜、眠れなかった。これまでにもあったことを思い出し、この先もずっとあるだろうことを想像し、そして、何より自分が気付かないま、数え切れないくらいにそうした機会を逸してきただろうことを思うと──。

口からこぼれ出てくる言葉、僕には砂金のように手を差し出して受けとめたい、あのとき話しかけられた言葉、大事に受けとめたかったのに。



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今日の朝日新聞の「銀の街から」。沢木耕太郎氏が月イチで連載している、ちょっとマイナーな映画のレビュー。今日、取り上げられた内容は「音のない世界」にも通じること。氏の評が鋭くてさすがだなと感心。ちょっとだけ救われた気がした。




2007-12-11


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