SILENTSHEEP*NET > 音のない世界で > 2003年 > ろう者とスポーツ
ろう者とスポーツ
県手連・県ろう連行事
スポーツ好きなろう者は多い。僕自身そうだが、きこえない分、身体を動かしている時間が心地好い。余計なことは何も考えず、無心に球を追い、ただ、ひたすら走る・・・。
先週日曜日、県手連・県ろう連合同バレーボール大会なるものがあって、参加してきた。ろう者と手話を学ぶ聴者の親睦を図ることを目的として開催されているこの行事、以前はバレーとソフトボールが毎年開催されていたのだが、ソフトやバレーといった特定のスポーツでは参加できないろう者や聴者も多いということで、数年前からソフトボール大会、バレーボール大会にレクリェーション行事を加えて、それらを3年に一度ずつのローテーションで行うようになった。さらに、手話サークルには女性が多いことへの配慮もあってか、今回からは9人制の通常のバレーにソフトバレーも加えられて大勢の参加で大会も盛り上がった。山口市も手話サークル友の会とろうあ福祉会の合同チームで硬式バレーチームを結成した他、ソフトバレーにも2チームを送り込み、総勢40数名が参加して一日を楽しんだ。
バレーの楽しさ
殊のほかバレーやソフトの大好きな僕は、こうした行事には積極的に参加させてもらっていて、いつもいい思い出を持ち帰っている。今年は、先月、肋骨を痛めた原因が、まさにこのバレーやソフトであるという痛い経験を味わわされたばかりであるのに、それでもやはり、バレーは楽しい。
大会前々日の金曜夜の練習に初参加したとき、治りかけている肋骨痛をぶり返さないためにも「今回は球拾いで充分」という気持ちが半分、本音であったのだけれど、やはり、これも7月上旬にあった職場のソフト同様、一歩、グランドに降り立つや、体育館に踏み入れるや、アドレナリンが一気に分泌してくる。血が騒ぐ。
走ることとは違う、チームプレーの、球技の醍醐味がある。そして、仲間に出会える楽しさがある。今回はバレーがしたいというよりも、こうした機会でもなければ最近、ほとんど会うことのないろう者の仲間や手話サークルのメンバーの顔を見たかった。会いたかった。久しぶりに顔を出すと手話サークルには僕の知らないメンバーも多くなっているのだけれど、なじみの顔はあたたかく迎えてくれる。手話サークルの皆さんにはとても感謝している。
山口県のろう者バレー
スポーツ好きのろう者が多いと述べたけれど、山口県内のろう者は特にバレーが非常にうまい。こうした行事が続いているのも、バレーを得意とする県内のろう者が意欲的に参加できる、楽しみにしているからだ。
どのくらいうまいかというと、ちょっとできる、というレベルではなく、舌を巻くくらいにうまい。それというのも、彼らは聾学校時代にバレー部で鍛えられ、卒業後もしばらくは県ろうあ連盟のバレー部チームで練習を続けてきた経験を持っているからだ。
1994年秋季号の『季刊みみ』に、彼らの活躍ぶりを示すエピソードがある。「私とスポーツ〜排球漬けの学生時代」として村田正彦氏が記されているページの内容がこうだ。小学校高学年から体育の時間にバレーの練習が始まった。中学部で山口市の中学校体育連盟に加入。初戦は敗れてしまったものの、次の大会では一躍、2位入賞。さらに翌年の新人戦で優勝、そして春夏連続優勝という快挙を成し遂げた。続けて高等部では、48校の競った県高校新人戦で3位だったという。市大会、県大会に出場後ほんの一年、数年でこの結果を残したということからも、彼らの強さ、レベルの高さを納得してもらえよう。
僕が彼らのバレー好きなこと、その高いレベルに驚かされたのが、この県手連・県ろう連合同バレー大会に初めて参加した、奇しくも今回と同じ長門で開催された9年前のときであった。僕は完全失聴してまだ2ヶ月と経っていない時期の、手話サークルにも通い始めたばかりのときのこと。まだ僕自身、ほとんどろう者の仲間を知らなかった、手話も出来ずにコミュニケーションのとれなかった頃である。それでも言葉をこえて──音声言語も手話も──彼らと結び付けてくれるものがバレーにはあった。
彼らのうまさに衝撃を受けたこと、そして、バレー部のキャプテンに誘われた僕が彼の手話を全く読み取れず、当時、僕の手話の未熟なことを承知していた同じチームのろう者が、その内容をかみ砕いて僕にゆっくり、やさしく「通訳」してくれた9年前のあの日のことを今もよく覚えている。
バレー部に誘われて僕は、後日、何度か一緒に彼らと練習した。当時はバレーも好きだったけれど、それ以上にチームを作っていたソフトボールに熱心だった。一人で壁に向かってピッチングの練習をするほど夢中な時期だったから、残念ながらバレー部への入部には至らなかったのだけれど。余談になるが、同じく当時はまだ走ることの方にも全然入れあげておらず、この大会前日の土曜に開催された県庁陸上大会に初めて参加し、競技場のトラックというものを生まれて初めて走った、ロードレースへの初出場にもなおこの後1ヶ月の時間を待つ頃だった。
今思えば、僕がろう者と仲良くなれたのも、まさにこのときのバレーが与えてくれたきっかけのおかげだ。ここから、ろう者の世界を知って僕も足を踏み入れるようになった。スポーツを愛するろう者が集まる、ろうあ者体育大会のあることを知り、翌年、初出場するに至った。そうして僕の世界も一気に広がっていった。
スポーツを通して得る自信
「芸は身を助ける」という。僕自身のバレーはさしてうまいと呼べるほどのものでもないが、それでも「好きこそ物の上手なれ」で皆で楽しめるくらいにはできる。こうした大会があるから手話サークルやろう者の仲間との旧交を今も温めることができている訳だし、また、新しい人たちとの出会いももたらされる。
当然ながらバレーのうまいろう者達も、きっと僕以上の計り知れないほどの恩恵を受けているだろう。野球(ソフトボール)やバレーボールは、職場や地域など、こうした一年に一度の行事でも楽しめる機会の用意されることが多い。いい意味でクラシックな、日本人好みの競技で必ずある大会だ。選手も応援も、手に汗握る高揚感を一体となって味わうことができる。
こうしたところで昔覚えた腕があれば、ろう者も社会に、聴者の輪の中に入ってゆける。スポーツに限らず何だってそうだけれど、自分が必要とされる、仲間に入れる、力を認められてメンバーに入れるというのは嬉しいものだ。自信になる。聴者とのコミュニケーションの接点に、きっかけにもなる。ろう者がバレーで得た「自信」は、様々なところで生きてゆく上での心の支えになっているはずだ。
そして、また思うのは、学生時代に鍛えられたのが単にバレーのうまさ、技術ばかりではなく、そのスポーツマンシップが何より素晴らしくて感心させられることだ。初めて見たときから、僕も彼らの態度の美しさに尊敬の念を強く抱かされた。魅かれた。それもやはり、聾学校時代のバレー部の、まさに“バレー漬け”のきっと厳しい練習の中で培われた精神に他ならない。
競技はひとつのコミュニケーション
この大会、以前は山口市チームも他の地域も、ろう者チームと手話サークル(聴者)チームとが、それぞれ別チームで出場していた。参加チームが多くて盛り上がっていた。最近は、そこまで参加者が集まらなくなっている。県の身体障害者体育大会(球技部門)でも、以前は各地域の聴覚障害者チームが競っていたのだけれど、年々、参加チームが減ってゆき、ついに4年前を最後に聴覚障害者のバレー部門は中止になってしまった。
先の聾学校バレー部黄金期を支えたろう者らが今では40歳前後になり、おそらく人生で最も大変な年齢の時期になっていることが原因でもあろう。さらに、かつては職場や地域でも総力で取り組んだ運動会やスポーツ大会といったものは、近年、どこでも人が集まらなくなっている。個人の趣味の多様化などの影響で、休日に組織や団体で行動することが疎んじられ、ひとつのことに皆が力を向けることが難しくなってきている。
県内のろう者もレクリェーションどころではない、仕事や家庭で精一杯の状況で、バレーボールやソフトボールのために集まることの難しい状況になってきていることは、よく分かる。
さびしいことである。それでも、僕が9年前に感動し、勇気付けられたように、親睦を第一の目的とする行事のときであっても、スポーツには人の心を奮わせる、訴える強いメッセージというものを持っている。バレーのようなチームプレーは、競技それ自体がひとつのコミュニケーションでもある。百の言葉以上に、心を通じ合わせられる可能性を有している。選手、応援の一体感、そして打ち上げ。心ゆくまで楽しむことのできた一日は、日常生活の中で心の中にあたたかい思いを残してくれる。
僕が一年に一度、数年に一度でも仲間と顔を合わせられる機会があるのは、ろう者がバレーを好むこと、そして僕も同じようにバレーが好きだからの縁である。スポーツは日々を明るくしてくれる。
2003-08-03









