映画「リード・マイ・リップス」を観て 1

愛の物語

リード・マイ・リップス

カルラは難聴という障害を持つ独身女性。仕事はできるけれど会社で正当な扱いを受けていないことに、また、私生活では男気のない孤独な一人の生活に不満を抱いて日々を過ごしている。男・ポールは刑務所を仮釈放したものの、見つけた仕事に喜びを見出せるわけではないが、それでも立ち直りたいと思っていた矢先、かつて多額な借金を抱えていたがゆえに、ヤクザに働かされて未来のない、拘束された日を送ることになってしまう。この映画は、それぞれに欠落を有しているゆえ、うまく社会に適応できない男女が、奇妙な関係を保ちつつもお互いを必要としてゆく過程で紡がれる愛の物語である。

多彩なプロット、巧妙なストーリー

といって単純なラブ・ストーリーではない。不遇な女が幸せをつかむシンデレラ・ストーリーでもない。概略を記すとこうだ。

映画の中でのカルラ(エマニュエル・ドゥヴォス)はやや年齢も高く、あまり美しくないという設定にされている。当然、日々の生活には全く男気がない。職場でも軽んじられ、近寄る男性社員もなく、私生活もいたって地味である。本心では求めている。子どもを持ちながらも不倫相手のボーイフレンドと奔放に遊ぶ友人に憧れを抱き、鏡の前では何度も全裸の自分を映し出す。周囲から相手にされず、年もとってはいるけれど、恋とセックスへの憧れは捨て切っていない。

アルバイトを雇うことになって訪れた職業安定所で「男性で、25歳以下で、背が高く、手がきれいで・・・」と求人ではなく、さながら恋人としての理想を語ってしまう。

そうして現れたのがポール(ヴァンサン・カッセル)である。カルラと対照的に、ポールは汗臭くワイルドで、強烈なセックス・アピールを放っている。無精ひげをはやし、腕には十字架のタトゥーさえ刻まれている。やさぐれのチンピラで、カルラの事務補助を条件として雇われたはずが、見たとおりパソコンやコピー機にはからきしダメ。会社の物置きに寝泊まりすることを何とも思わない。

仕事としては全く使えないポールだが、社内の男性社員に相手にされない、ともすれば年増でブスで難聴であることをからかわれている、蔑まれているような不満を抱えているカルラにとって、あからさまではないけれど、心のうちで求めていた「男」である。期待していた自分が求めている男、満たされないでいる思いを埋めてくれそうな男の出現を喜ばないわけはない。

窃盗なら何でもやったというポールの前科を知った彼女は、かねて自分の仕事を奪った嫌な同僚から仕事を奪い返すべく、奴から書類を盗み出してくれるようポールに嘆願する。この時点では、社会復帰するつもりで二度と手を汚すつもりのなかったポールだが、カルラをレイプしかけた借りを咎められて実行に及ぶ。

首尾よく仕事を取り返し、同僚を追放して喜ぶカルラ。ポールの出現で自信を持つきっかけを与えられたカルラは、思い切って友人のパーティーにポールを連れてゆく。意外な組み合わせに驚く女友達からは、羨望さえ感じられて、これまで味わうことのなかった優越感に浸ることもできた。ところが、そんな幸福を味わえた時間も束の間、かつての借金取りに見つかったポールが、ヤクザのボスの経営する夜の仕事を命じられてカルラの職場を去ることになってしまった。

せっかく親密になることのできたポールを失って、再び消沈するカルラ。しかし、ある日、思いがけずポールが彼女の前にあらわれる。ボスの経営するクラブでバーテンダーの仕事をさせられていたポールが、ボスのたくらみを知り、それを横取りして大金をせしめようというアイデアを思いついた。そこでカルラを利用しようとして近付いてきたのだ。

難聴のカルラは、離れている人間の唇を読んで話の内容を知るという読唇術を身につけている。その読唇術を利用して、ボス一味が計画の打ち合わせをする一室を向かいのビルから双眼鏡で覗き込み、そこで話されている内容を解読してくれるよう、ポールは依頼する。今度はカルラが借りを返す番だと。そうして夜ごとに見張りの毎日をすることになる。危険なゲームに引きずり込まれてゆきながらも、カルラはポールとのこの共犯関係に胸をときめかす。

そして物語は意外な展開をみせ、ハイライトを迎える。

見事な演技力

2時間のドラマが飽きさせない。序盤から観る者を引き付けて離さないままラストまで持ってゆく。非常にすぐれたストーリーになっている。あまりによくできているから、思い返してこうしてあらすじを記してみた。

男と女の愛の物語であると書いたが、同時に、「ギャング」「ボス」「秘密の取引」といった材料を用意して手に汗握るサスペンス映画、ミステリー映画にも仕立てている。もちろん、サスペンス、ミステリーに欠かせないどんでん返しも用意して。固唾を飲んで見守るクライマックスでは、「なるほど!」と快哉を叫ぶような、観客の誰もが感心する見事なつくりになっている。

愛の物語という側面では、満たされない女が一人の男の登場に、次第に女として目覚めてゆく、まるで乾いた枯れ葉がしっとりと濡れて色づいてゆくような過程が分かって面白い。カルラは自宅では何度も鏡の前で自らの裸身を映し出す。裸身になったポールの姿を目の当たりにして息を詰まらせる。ポールの部屋にあった脱ぎ捨てたシャツに袖を通し、ベッドに横たわっては匂いを嗅ぐ。初めてバーに誘われたときは、一人、デートと早合点して、恋の会話の予行練習さえ行う彼女の姿は、ユーモアと同時に哀れな女のせつなさをも誘う。

オフィスワークというカルラの職場を主体にしている前半に対し、後半をポールの働くナイトクラブに移すという映画の設定にもそれは見てとることができる。

秘書補助としてのコピー取りその他事務の仕事がからきしダメなのとは対照的に、バーテンダーとして働くときのポールは生き生きとしている。その働きぶりの板についたさまは、まるで水を得た魚のようで本来の自分を取り戻している。そして、一層の色気を漂わせている。カルラもまた、それまでの古くて味気のない自分を脱ぎ捨てて、未知の世界に踏み込む新しい自分を開拓してゆく。こうした手法を観せられると、今の僕の仕事もまさしくそうなのだが、オフィスワークというものがいかに無機質で色気のない、面白みのないものかと嘆かわしくなる。

男も女も求愛するわけではない。恋心をほのめかすわけでもない。2人はともに気持ちを伝えるのが下手である。それを如実に表す二つのシーンが印象的であった。

大金を盗む危険な企てに引きずり込まれたカルラとポールのやりとり。

「お金なんて要らない!」

「何が望みなんだ!」

「また出社しなさい」

一攫千金を狙って危険をいとわない男に対し、女は平凡な日々の中に愛を求める。

一方、ポールにも無意識の愛が育ってゆく。ポールの働くクラブに足繁く通って雰囲気にも慣れるようになったカルラは、心の底であこがれていたふしだらな女よろしく男客と酒を浴びるように飲み干すまでになる。みかねてポールが注意したのは嫉妬も含まれていたか。案の定、男達にレイプされそうになったカルラを、前には自分がレイプしかけたポールが救い出す。それでいて、カルラをうまく慰められない。「自分の女というわけでないのに、何で助け出してやったんだろう」とポール自身が戸惑っているかのように。

最初は女の恋心に気付きもしなかった男が、次第に意識しない愛で女を包み込んでゆく。言葉にはできないが、無意識に育つ愛。

「セリフで説明しすぎる映画が多いから、その逆を目指した」というジャック・オディアール監督の狙いどおり、ヴァンサン・カッセルとエマニュエル・ドゥヴォスの演技力が秀逸。僕は映画に精通しているわけではないけれど、今回の2人の演技力によってこの映画が素晴らしく深みのあるものに仕上がっていることは分かる。特に、単なる美女を演じるのではないエマニュエル・ドゥヴォスの地味な女役がとてもいい。普通の映画にはない、味な存在感とでもいおうか。

映画としては2時間のストーリー中、多過ぎるくらいの仕掛けが随所にほどこされていて充分過ぎるほどに楽しめる。非常によくできた映画である。見終わってからもう一度思い出しても感心させられることしきりである。

と、映画評に終始して、ここで終わってしまうと「音のない世界で」に収録する意味がなくなってしまう。それほど、あまりに映画の出来が良かったので、力が入ってしまった。ここまでだけで随分と長くなってしまった。続きは次回に掲載することにして、この映画を期待して見た核心の、「難聴」女性がヒロインであること、「補聴器」、「読唇術」について述べてみたい。



*11月1日、4年ぶりの再会となるS夫妻をたずねた折のシネ・リーブル神戸にて観賞


 

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