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再び、「名もなく貧しく美しく」について

スクリーンで感動

「名もなく貧しく美しく」 /
投影されたフィルムと日本語字幕(右側)

以前に述べたように、ビデオで見たことはあったが、今回はフィルムでの上映を初めて鑑賞した(最初で最後だろうか・・・)。もちろんVTR(やDVD)で見ても感動するのだが、やはり、スクリーン上映になると感動の度合いが全然、違う。特に昔の邦画は、冒頭、映画会社のマークやタイトルが大写しになって出てきて(最後も出演者他のエンディングタイトルが流れるのと違って、一気に「完」となったり)、それだけで強烈なインパクトがある。投影された瞬間、ぐっと観客の心をわしづかみにして引き寄せる。観る者の身体を震わせる。

僕は実行委員の立場上、全てを観ることはできなかったが、それでも随所で泣けた。ストーリーの時代(終戦後)が時代だけに、余計な技巧がなく、ストレートなつくりで素直に感情移入できる。ストーリーが分かっていても、半世紀以上前の設定で今ではこの映画の中のような悲しみは薄れてきていると承知していても、何度も泣けた。決して「泣かせ」が先にありき、なのではなく、小林桂樹、高峰秀子演ずるろう夫婦の必死な生き方が、それだけで強く胸を打つ。制作から40年以上経て輝きがなお色褪せない。きっと、この先も時を経るほど、この作品の価値は重みを増すにちがいない。

日本語字幕を特別制作

東宝のフィルムそのものにも、字幕は一部、夫・道夫のセリフ(手話)部分について入っている。しかしながら、妻・秋子(聾だが、一応、話せる、という設定)や聴者の会話に字幕は付いていない。それらの部分について、字幕をカバーしてくれたのが「山口県字幕サークルEライン」である。パソコンで作製したものをプロジェクターでスクリーンの右端部分に縦に字幕を投影する、という方法である。

この日本語字幕投影、シナリオを文字にするだけで済むような、簡単にできるものでは決してない。苦労もたくさんある。

まず第一に、喋っている言葉を一字一句、全部そのまま文字におこす訳ではない。洋画字幕もそうなのだが、話し言葉を全部、字幕にすると、とてもではないが読み切れない量になってしまう。画面に追いつけないし、画面を見る余裕がなくなってしまう。雰囲気を失わない範囲で、時に、要約する技術が求められてくる。

それから、これが聴覚障害者向け字幕の一番の特色なのだが、セリフ(話し言葉)だけでなく、映画の中の環境音、効果音も挿入すると、映画の面白みが全然、違ってくる。洋画の字幕とは異なる点で、試しに、聴者もボリュームを消して、音楽や音のない洋画を見てもらったら、たとえセリフの字幕はあっても、それがいかに素っ気ないものか分かってもらえると思う。

今回の映画では、例えば、終戦、戦後の状況を伝えるべく、「ゴォー(空襲の音)」や「(軍歌が流れている)」、「♪(軍歌の歌詞)♪」、「(赤ん坊の泣き声)」といった具合の工夫がなされていた。「ゴトン、ゴトン」と(電車の走る音)がけたましく、聴者なら会話の成り立たない場面でも、主人公2人は何事もないように手話で愛を語っている――場面など、聾者を主役とした映画ならではの面白さが、映画公開当時まだ市民に普及していなかったはずの手話の特色を伝えようとした監督の意図が、今回の特別な字幕で初めて知ることができた。

一応、発声はできるという設定の秋子のセリフにもそれが見てとれた。外国人がたどたどしい日本語を喋る様子をカタカナ表記することは、小説にもよく使われている。『四つの終止符』の著者、西村京太郎が主人公の聾者の語る言葉にこの手法を使っているのだが、ただ、全部をカナ表記するのも違和感が残ってそぐわない。そこを、今回の字幕では、秋子が聾ゆえにうまく発音(発声)できない様子を、「そうでシタ」「私ハア」と、一部にのみカナを交えることで伝える工夫をしてくれた。VTRでは全くうかがい知ることのできない点で、感心することしきりであった。音声情報の得られない聴覚障害者にいかに映画の情報を届けるか、苦心と工夫の積み重ねだったろうことが伝わって、強く感動した。

制約ある中での貴重な上映機会

名もなく貧しく美しく

それから、著作権の問題。聴覚障害者のため、といっても、公共の場で無制限に字幕を付けて上映していい訳でもない。映画制作会社の、また、監督や脚本家等、関係者にからむ著作権の問題がある。だから、デジタル化で近年、字幕作成が容易になった、特にDVDには字幕を挿入することが簡単にできるようになったとはいえ、発売されている邦画DVD全てに日本語字幕があるわけではない(まだごく少数である)。例えば、邦画として世界に誇れる黒澤映画も日本語字幕で観ることはできない(海外で黒澤作品のVTRやDVDに英語等の字幕が入っているのかどうか知らないが、もし、あるとしたら、逆輸入して見るしか日本の聴覚障害者は方法がないのだろうか? あくまで外国語の読解力を前提条件として、ではあるけれど・・・)。とにかく、そうした具合に、問題も少なくない。

ちなみに著作権の問題は、聾運動、難聴運動の成果で関係法令の改正がなされ、今ではTV番組の字幕放送が増え、また、わずかながら邦画の字幕プリント版上映も増えてきたなどの前進に結び付いている。字幕サークルEラインがそうであるように、聴者の側からの支援も増えてきた。また、字幕制作技術も向上してきている(僕も今は深く関わっている訳でないので、この世界について、偉そうなことはいえないけれど)。

あと、上映するフィルムとパソコンから投影する字幕は全くの別物なので、映画の画面と字幕の内容とが合っていないと困る。両者がスクリーンに投影されるタイミングがずれていると、まずい。フィルムから上映されるシーンに合わせて、タイミング良く字幕を映し出す必要があるのだが、今回も商業的な上映ではないので、この点、完璧だったとはいえない。機器の不具合で途中、しばらくプロジェクターからの字幕が消えてしまったり、また、ずれたり、ということがあった。

それから、実は、この映画にはラストシーンの全く異なる、正反対の2つのバージョンがあって、上映されたフィルム(撮り直した海外版)と、字幕サークルが作った内容(当初のオリジナル版)との投影とが最後でかみ合わなかった。僕も2つのバージョンがあることは知っていたが、普通、一般的に普及しているのは当初版の方で、まさか、今回のフィルムが2番目のバージョンのやつだとは予想できなかった。字幕はVTR、DVDを観ての作成で、上映用のフィルムとは当日、ぶっつけ本番で合わせざるを得なかった。終わってみれば、よく確認すべきだった、リハーサルすべきだったと反省材料になるが、現実的には、費用面その他で映画会社からフィルムを借りることは難しかったろう。字幕サークルの方は大いに慌てたろうが、誰に非があるわけでなく、やむを得ない災難だったと思う。

40年以上前の、今では、こうした余程のイベントで主催者が画策しなければ、まず劇場では観ることのできない名画の上映を実現できただけでも幸運だった。映画通の方からみれば、今回の上映機会など垂涎の的だったに違いない。何より、字幕がなければ普段、邦画を観ることなんてない聴覚障害者にとって、ちょっとくらい字幕が消えたことや、ラストがかみ合わなかったことなど、些細なことだと言い切れる。そんなことは帳消しにできるくらいに素晴らしい上映、字幕だったと思う。字幕サークルEラインの方のご尽力に深く感謝申し上げたい。

みんなで観た映画

少なからぬ制約のある中で、今回の上映を堪能できたのは非常な幸運だった。できればもっと沢山の人に観てもらえれば、なお、よかった。今回は聾者、手話サークル等の、いわば内輪の参加者がほとんどだった。マスコミ(新聞、TV)の力を借りてPRできたら、一般の方を巻き込んで、ずっと大勢の参加者があったと思う。これは、実委側の反省点の一つと、準備を進める段階で既に承知していたのだけれど、一般の人に周知することまで手が回らなかった。もしできていたら、協会に所属している聾者だけでなく、高齢者(誰しも多かれ少なかれ加齢とともに聴力は低下してゆく)にも日本語字幕は喜んでもらえただろうし、この映画を知る人もそうでない人も、幅広い世代に名画を鑑賞してもらえたはずである。その点は少し、残念でもあった。

それと、当日、言及できなくて申し訳なく、後悔しているが、フィルムを上映してくれたのは山口県映画センター。後に下関市の馬関シネクラブも発足。映画「みすゞ 」を共同製作したり、また、聾者にはおなじみの、忍足亜希子さんの主演「アイ・ラブ・――」シリーズ映画の県内上映でも協力していただけているところである。僕ら聴覚障害者が字幕付き邦画を観ることができる、また、聴者にしても地方では上映されないミニシアター系の名画を観る機会を持てるのは、地域サークルのシネマクラブのおかげであることが多い。山口県映画センターもいい映画の普及に地道に活動されている、下関を愛し、山口県を愛している人たちである。

※以前、シネマクラブのおかげで字幕プリントを観ることができたときのテキストが残っているので、また今度、掲載してみたい。

代表の山本末男さんは語っている──

「映画は一人で楽しむものではなく、みんなでみてほしいものだと思う。映画をみながら、みんなで泣いたり笑ったりすることで、そこに共鳴や連帯感が生まれる。こういうものが文化だと思う」

今回はまさに、目的を持って集まった大会での上映だったから、この映画を観た参加者の間に生まれる連帯感は──無意識のうちながら──強かったと思う。日本語字幕の投影にちょっとトラブルがあった点さえ、後になってみれば「そうそう、あの時は・・・」っていう語り草になるんじゃないか。みんなで泣いて、みんなで笑って、字幕が消えたときは、みんなが心配した。そんなことも含めて、貴重なワンチャンスの上映だった今回、観ることのできた人には一生、心に残るだろう。映画は、観た者にもドラマを残してくれる。映画は、それがあるから、いい。


2005-03-12


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