心のリハビリ

今、走れないでいることの「肉体(physical)」のリハビリ中であるけれど、僕には走ることが「心(mental)」のリハビリの大きな手段でもあった。走ることが日々のストレスの解消に役立っていただけに、走れないことが加わってストレスを増長させている。

今日のニュースに、全盲の患者を病院職員が公園に置き去りにした、というのがあった。

asahi.com:全盲患者を公園に置き去り


前回のエントリで「盲者がサッカーのピッチに立っているのと同じ」と書いたように、僕自身の現況もこのニュースと全く逆の様でいて、似たようなものだ。

話し言葉が飛び交い、笑いが起こり・・・という洪水の中に、見えてはいても知ることのない自分。

これも一種の「置き去り」。自分ではどうしようもない状況でいて、かつ逃れられない空間、時間。

また別のエントリで、町の障害者たちが協会をつくって、自ら公園をつくったという話。

他人に理解してもらえない苦しみも、公園に登ってきて、大空に向かって大声を出せば消し飛んでしまうだろう

先のニュースとは障害の方向が全く異なるから、というのもあるけれど、僕には、公園で一人の方が心を擦り減らすこともないだろう。公園で空を眺めていれば気も晴れるだろう。

盲者が置き去りにされれば途方に暮れるだろうように、聾者が放置されればストレスはたまる。

ストレスがなければいい、リハビリの必要などなければいい、のはいうまでもないのだが──。

肉体も心も、痛手を負う前に、傷を深くせぬよう日々のリハビリに努めねば。



 

  Related Entries


 comment
  1. 26kame より:

    走れないストレス、26kameの想像は及ばないと思いますが、、どうぞ吐き出されますように。
    どしどし、エントリーとして書き連ねることが、ここで言われるリハビリになるんだろうと思いますっ。

  2. より:

    どうも、かたじけないね・・・
    どこかのサイトに匿名で吐き散らす感情でもなく、
    口に出した瞬間、消えてしまう音声言語でもなく、
    我が身の正体を明らかにしている(苦)マイ・サイトで、
    将来も形に残る書記言語で記すことは
    結構な覚悟と責任を伴うのだけれど、
    でも、それが自分を勁くしてくれ、
    なにがしかに結晶されるものと信じたいです。

  3. 26kame より:

    ごめんなさいね、無責任なコメントで...
    でも、やっぱり、その言葉が輝いて見える日がくるんだっ、と想像します。

  4. より:

    いえいえ、ありがたいですよ
    投げ飛ばされ、受け身を覚え、立ち上がり・・・、日々、道場というところです。
    ここはここでこのサイトのコンセプト通りに、正面から向き合って考えるためにもやはり、どしどしエントリしてゆかねばと思っています。

Message

メールアドレスが公開されることはありません。