映画「きれいなおかあさん」

母と子の絆

きれいなおかあさん

今年は今日(5月5日)のこどもの日と母の日(5月8日)が最接近している面白い年、面白いGWである。この機会ついでにテレビで観た作品について記してみた──。

聴覚に重度の障害を持つ息子を女手ひとつで育て上げようと努力する母。懸命に生きる母子の姿を描いた作品。

タイトルはピントがずれた感じ。さわやかな物語かと変な期待を喚起させてしまうところが、かえって誤解を呼ぶ。ちなみに、日本語で「きれいな」と「きらいな」は一字違い。聾の子には言いにくい、また、聞き分けにくい言葉である(決して冗談ではなく・・・)。子どもにとって、おかあさんがきれいかどうかはたいしたことでない。きれいでなくても、子どもには間違いなく世界で一番好きなおかあさんなのだから。

女と男

小学校入学前の息子は聴覚に重度の障害を持っている。母は何とか普通の小学校に入学させようと必死に言葉を教えるのだが、労むなしく入学試験に落ちてしまう。父は、息子の障害に嫌気を示して別れ、別の女をつくっている。普通の子どもならこんな苦労もないのに、言葉を教えるだけで血のにじむような努力をしないといけない。耳がきこえず、補聴器という変なものをつけている息子は同年代の子ども達にいじめられる。けんかして補聴器は壊れてしまうが、高価な補聴器は、母の月給でおいそれと買える代物ではない。母と息子、2人で生きるだけで精一杯なのに、息子の持った障害ゆえに世間の冷たい仕打ちを浴び、人一倍の苦労を背負う。

母の懸命な姿とは裏腹に、男は汚く情けなく頼りない。障害の子だからという理由で離婚する父。家政婦として働く母を金で買おうと襲いかかる店主。母が恋心を寄せる先生だけが唯一、救いなのであるが、その先生とて、最後に力になれるわけではない。徹底して母は、女は、一人にされる。困難から簡単に逃げるずるい男と、困難に逃げず──逃げられずに──背負い込むことになる女。母はたくましく生きざるを得ない。タイトルとは逆に、きれいかどうかなんてかまっていられない。化粧なんて要らない。着飾った女の集まる同窓会で憐憫を受けたくない。でも本当は、きれいでいたいのに、泣きたいのに、弱い存在だと慰めてほしいのに・・・。

「あんたさえいなけりゃ・・・」。本気で息子を憎しみ、泣きながら息子に吐き捨てる母。でも、息子も「どうして僕だけ補聴器つけてるの?」と、幼い子どもには酷なほどの葛藤に気付く年齢になっていた。どうして世の中にはきこえる人ときこえない人とに分かれてしまうのか、言葉を教えるシーンなど聾者、難聴者、また、聾の子、難聴の子を持つ親には、涙なしに見ることのできないシーンも多いだろう。

現実生活の延長で淡々と進む、極めて地味な映画である。娯楽性は全くない。障害モノというわけでもない。当然ながら、障害の問題は、映画の中で一件落着、解決するわけでもない。このあと、一体どうなるのだろう? と思う。母と子の心のつながりを深く確認させてくれる作品、といってしまえば簡単だが、果たしてこの映画は一体、何を伝えようとしているのか、訴えようとしているのか、ストレートには分かりにくいかもしれない。観る側がそれぞれに考えないといけない映画である。面白くはなくとも、それでも、こうした「事実」のあることを観せてくれる映画も欠かせない。

満足度:★★★

1999年中国
2005/04/28 NHK衛生第2放送の録画で鑑賞

 

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