県立大学生のレポートを読んで

講義の感想をもってして、出席に替えることとしてもらい、レポートを学生に求める。初めて講義したとき、自分の思いがどれだけ学生らに伝わり、学生がどう感じたかを全く知ることができなかった。それで、昨年2年目から、お願いするようになったものである。

今年は自分の講義が今ひとつだったせいか、レポートの反応も昨年に比べると少し物足りないかなという気もする。昨年の分がかなり良かったという意味で、はね返ってくるのは自分が力を注いだ分量だけ、という真実を突きつけられる。

ひとつひとつのレポートには、どうしてもやはり、それを書いた学生の力量というものが如実に表れてくる。同じ講義をきいても、捉え方、感じ方がこうも違うものかと思わせられる。レポートが成績評価の材料になるわけでもないし、僕にその権限もないのだが、しかし、学生達の中には少数ではあるが、きちんと僕のはなしを受けとめて深く考えている者が見受けられる。それが僕にとっての救いでもあると同時に、決していい加減に話したわけではないが、僕ももっと真剣さをもって臨むべきだったと反省させられもする。

これから福祉の仕事に携わろうとする学生らの、「相手の話に深く耳を傾け」、そして「自分のこととしてきちんと考え」、「誠意を持って相手に対する」という資質を、早くから有している者は有しているのだと知る。学生時分の僕自身がお世辞にもこうしたタイプでなかったから、なおさら感心させられる。

もうそろそろ、こうした講義で「きこえない」ことを語る役目からは解放されたいという思いが強くなってきている。そうした迷いを断ち切れずに臨んだ講義であるけれど、その自分の甘えを思い知らされることの意味でも、また、そうした機会を持たねば自分の成長もないことをあらためて知らされた意味で有意義な経験であった。

その思いもあり、せめてレポートへのお礼はきちんと応えようという気持ちで、昨年からさらに増えて、6ページにわたってお礼を書き上げた。


 

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