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「反日」に思う
国家意識は教育の差か
中国で反日デモが異様なレベルで拡がっている。
大使館や日系企業、飲食店等への投石、破壊、日本人留学生への暴行といった理不尽な行為が許されるものではない。僕だって愛国心はいっぱしにあるから、公然と国旗を焼かれたり、傍若無人にあそこまでされた映像を見聞きすると腹が立つ。
おそらく多くの日本人もそうだと思うが、北朝鮮の拉致にしろ、今回のデモにしろ、どうして日本政府は相手国に明らかに非があることへも毅然とした強い態度を表明できないのか。
でも、考えてみると、選挙で送り出す代議士はそのまま有権者をあらわすもので、政府と国民は同レベル。政府も弱腰なら、日本人もおとなしい。ゆゆしき事態だと思っても、腹は立てても行動は起こさない。とりあえず自分に危害が及ばないことには、あえて事を荒げたりしない。保身が先に働く。
一方、日本と異なり、今回の中国をはじめとして、他国は何かにつけ、デモという行動に出る。ロシアでは今、政府の教育改革に学生が声を上げている。つい先日は、台湾でも中国の反国家分裂法に抗議する大規模なデモがあった。香港でもしょちゅうのようである。数十万、百万近くの民衆が大挙する。 今回の中国はデモの一線を明らかに越えているところに問題があるが、デモ行進だけでも、冷めた日本人から見ると、どうしてあそこまでできるのか、と不思議に思えてくる。日本人は、人気の店への行列には労を惜しまなくても、デモはまっぴらだと思っている。もうすぐメーデーだけれど、労組からの報酬や手当がなければ、今、純粋にデモに加わる人の数は知れているだろう。
今回の中国のデモの特徴は、最初、内陸部で起こった暴動が農村と都市の格差に主因があると論じられていたのに対し、今回は中国全土に拡がるもので、かつ中間層やエリート層達も一様に参加していることにあるという。それは、前政権が強く推し進めた、現代の中国の若者が受けた愛国思想の教育ゆえという。
愛国心は今、日本に大きく欠けているものである。卒業式や入学式のシーズンには、国旗を壇上に掲げることに反対した、国歌斉唱時に起立しなかった云々で教育委員会が処分した、というニュースが毎年繰り返される。国や自治体からの莫大な税金で給与を受けている教師が、国旗国歌を尊重せず、生徒へ範を示すべき立場の教師がその態度をとれずに、果たしてその職が務まるのか? (そんなに国旗、国歌が嫌いなら、公立学校でなく、自分で私塾を開き、私旗、私歌をつくって自由に教えればいいと思うのだが)。日本には何となく、国旗国歌に触れてはいけないといった雰囲気、アレルギー意識がある。不思議な国かもしれない。
愛国心、民族意識については、先日読んだ米原万里さんの『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』が非常に面白く、考えさせられた。後日、本棚に収録してみたい。
話を戻して、暴徒化するまでに立ち上がる中国と、表面的にアクションを起こせず平然としている、あるいは全く無関心でいる日本。中国のそれが行き過ぎではあっても、国家への誇りが強烈だから、あそこまでできるのだろう。国家意識、民族意識の自覚の有無といえようか。両国の教育の差を見る思いである。
けれど、自分も似たようなもの
最初に報じられた内容によると、やはり、暴走したのは農民や失業者が多いらしい。反日感情と生活の不満が結び付き、破壊活動を大きくしたのだという。許せるものではないが、羨ましいところもないでもない。羨ましいという表現は適当ではないが、心情は理解できるし、僕も彼らと似たようなものではないかと思えるのだ。
状況は全く違うのだが、僕も日々、ストレスを意識している。それは多く、職場で、仕事面で感じることである。ストレスのない人はいないし、誰しも多かれ少なかれストレスはあろうが、僕の場合、きこえないことについて、どうしようもない思いを打ち消せない。仕事内容や職場の人間関係に不満があるとかではなく(全くない、といってしまえばウソだが)、自分の置かれた立場を思い、考え始めるととめどなくストレスが昂じてしまうのである。
このホームページの最初に記したように(*)、どこまでも終わりのない、また、解決しようのない課題である。こと、きこえることが当たり前で、きこえることが極めて重要な(きこえる人には全く意識しないことだろうが)役割を果たす仕事という局面においては、強く意識せざるを得ない。毎日のように、飛び交う情報を眺め、電話や会議や打ち合わせされている状況を見ると、自分の存在について無力感に襲われる。
無力感はストレスに転化し、ストレスが苛立ちに募る。何かの引き金があったら、僕も暴徒と化すかもしれない。仮に今の状況で僕が中国人であったなら、僕には冷静、理知的に判断できる分別はないから、雰囲気に流され、デモに加わってやっぱり同じように石を投げるだろう。一時的に憂さを晴らせたところで何も解決しないと分かっていても、抑えきれないんじゃないか。
音声情報の重要さを意識しなくて済む、見なくて済む、考えなくて済む休日をリラックスして過ごしている限りでは意識しないのだが・・・。最近、このホームページも趣味性の強いページが多く増えて、それはそれで楽しいのだが、今回の連日の反日に関するニュースを見て、ふと今の我が身を考えさせられた次第である。
2005-04-17









