SILENTSHEEP*NET >  音のない世界で >  2007年 >  メガネ、人とモノと

メガネ、人とモノと

近視は矯正できる時代だけれど

5日前に訪れた眼科へ再び。今日のは予定していたものでなく、片側の目に出血があったから。年に数回、左右を選ばずにやってしまう。

治るまでの1週間前後、普段はコンタクトをしているのをメガネに代えたり、眼帯になったりする。

生活に支障はないが、コンタクトの便利なのは何よりスポーツ時。今日、ちょっと競技場で走ったときもメガネだと上下に揺れて不便。外して走っても問題ないが、僕の場合、きこえないだけに、知った人に挨拶したり、ちょっと・・・の合図が全て“アイコンタクト”なので。

それから、スイム(水泳)。この頃は便利なもので度付きゴーグルもふんだんにある。メガネより安いのが不思議なくらいに。

前、こんなことがあった。コンタクトはディスポーザルなので、外したら即、捨てる。泳いだ後に「あっ!」と気付いたのが遅い。メガネを持ってきていなかった。仕方ないので、安全を期すべく、ゴーグルを付けて運転して帰った・・・(爆)。

近視や白内障は最近、手術で矯正(治療)できるようになった。耳(難聴、聾)と違うところだね。

近視の「ぼんやり」見えるのは悪くない

レーシック等は周囲でも珍しくなく、僕も興味あって「いつかするかも」の選択肢を残しているが、今のところはメガネやコンタクトで矯正できる分で支障ないのでそのままにしている。

裸眼のときの、「ぼんやり」見える感じというのも悪くないから。時々、メガネを外して走ると目に当たる柔らかい風が気持ちいい。風呂に入るときも当然、そうだし、見えすぎない心地よさ、っていうのがあるよね。

耳の場合、そうはいかない。おぼろげに聞こえる気持ちよさ、きこえ過ぎない心地よさ・・・はない。

「見る」というのは対象が「モノ」だから。「きく」対象は、ほとんど全て「人」だから。

目を閉じれば、手を伸ばす距離のモノも見えない。それもつらい。でも、手の届く至近距離に相手がいるのに話声が届かないのもつらい。

見えないことは人をモノから切り離す。

きこえないことは人を人から切り離す。



2007-06-27


このページの先頭へ