電話〜文明の機器の前に立つろう者の思い

文明の機器

電話、この便利なもの。どれだけ離れていても、場所を越えてたやすく人とつながることのできるもの。

しかし、ろう者にとっては憎むべきもの? 疎ましいもの?

グラハム・ベルが120年前に発明したというこの文明の機器は、人類に多大なる貢献をもたらして現在にいたっている。

ベルはろうあ者、盲者の教育に携わっていて、ヘレン=ケラーとも親しかったという。

しかし、この、聴者にとって距離を超越して時間を共有することを可能にした機器は、一方では盲者を支援する、殊の外すぐれて便利な手段になったのとは逆に、他方でろう者にとっては、それが使えないことで聴者との間の距離を一層遠くしてしまうこととなった。何とも皮肉な発明である。

仕事と電話

言うまでもなく、今では電話のない生活は考えられない。 もちろん、「電話のない生活」というが、ろう者は元々電話を使わずに生活している。

きこえない人間が電話を意識させられ、聴者との差を痛感するのは、こと、仕事面である。

「電話のない生活」はできても、「電話の不要な仕事」はまずない。ビジネスを始めるのに絶対に必要なのは、事務所でも社員でも広告でもなく、電話だ。需要と供給によって成り立つ経済の中に仕事はあり、そこでは絶えず、相手方の意思を確認し、こちらの意思を伝える作業が繰り返される。

「たずねる」「問い合わせる」「きいてみる」「相談する」「こたえる」。

職場は、一日中、絶え間なく電話が鳴る。電話がかかってくるというのは、何かを求められているということだ。だから、仕事になる。例え苦情にしても、求めるものがあるからこそである。また、仕事を生み出すために、作り出すために、人は電話をかける。

ビジネスとは相手方のあることである。

社会では、電話をすることは特別なことではなくて当たり前のことだ。お金を出して空気を買うわけではないように、仕事の連絡は電話でする事を誰も疑わない。そもそも「電話ができる(かどうか)」なんて表現は聴覚障害者(特に難聴者)の間でしか使われない。

電話とろう

しかし、その当たり前のことができない。僕は電話がとれない。かけることもできない。「電話ができない」ということは、仕事で自分が求められないということでもある。

どんな仕事でも人との会話を経ずして完結される仕事はない。たまたま電話の占める比重が少ない職場にあっても、より良い仕事をしようと思ったら、こまめにたずね、確認したい。相手方も同様だ。そんなとき、自分の仕事であるのに、自分が直接に語れない。

僕が電話を必要とした時はどうするか? たいていは誰かにお願いして電話をかけてもらうし、僕あてに電話がかかってくれば、誰かが代わりにとることになる。僕と電話の相手方の間にもう一人の誰かが介して、仲立ちをする。いわゆる「通訳」である。

これは、通訳者(介在者)にとっても、僕にとってもかなりエネルギーの要る労働量である(以前、一日中電話することが仕事のようだった職場では本当に周囲に迷惑をかけた。そしてお世話になった)。

このとき、自分と相手方の伝えたいこと、いわゆるそこで話題になっている問題について、通訳者(介在者)が理解していないと話ができない。僕と相手方の間で認識を共にしていることでも、通訳者(介在者)が知らなければ話ができない。そして、仕事というのは基本的に、認識を共にしている者同士で進めてゆくことである。

電話の内容である「何が問題(話題)になっているのか?」をまず、通訳者(介在者)に理解してもらわなければならない。 しかも通訳といっても、この場合の伝達手段は筆談になるのだ。通訳(介在者)は、相手方のメッセージを僕にわかるように文字にして、書いて伝えることとなる(仕事上の専門用語その他を手話で表せる人は、余程特殊な環境でなければいない)。

TVを見ていれば分かるように、外国語通訳ならまだワンテンポ遅れる程度で会話は十分に成り立つ。しかし、話し言葉を文字にして書こうとしたら10倍くらいの時間と労力が要る。電話の向こうの相手方は、ワンフレーズごとに長い沈黙を甘受することとなる。

電話ができないということは

けれども、そんなことをするなら、僕の代わりに通訳者(介在者)と相手方が直接やりとりした方がずっと早い。相手方も、きこえる人間と話せた方がずっと仕事もはかどる。間に通訳者の介在する手間を避けて、直接に話せる相手方を選ぶ。

僕がどんな仕事の能力を、どんな知識やアイデアを有しているかではなく、「電話ができるかどうか、話ができるかどうか」の方が優先されてしまう(「僕」というより、きこえない人間すべてが。そして、電話に限らず)。

そうやって、僕は選ばれない、求められない存在になってしまう。

「そんな風に思う必要はないよ」と慰めてくれる向きもあるだろうし、僕自身もそう思うようにしている。でも、もっともな表現をするなら、仕事のやりがいを感じることや、生きてゆく上での喜びというのは「誰かが私を必要としてくれている」ことを実感できる時である。仕事の場でのその最たるものが、電話でものごとを解決してゆく過程にある。

きこえないことを承知の上で、僕を指名してもらえたらこれほど嬉しいことはない。この世のろう者ももっと仕事に意欲的に取り組めるだろう。 あるいは電話なんてない世の中になってしまえばいいのに。

人類史上最大の発明のひとつとして、グーテンベルクの印刷術が挙げられることが多いけれど、電話の発明もそれ以上のものじゃないかと僕は思うのだが、どうだろう。


 

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