デクノボートシテタチスクミ

仕事にも徐々に慣れてきて、はっきりと習得が身体に染み込んでゆくのが分かる。そういう面白さと、研修なり独学なりで一所懸命に学ぶ努力もしてはきているのだけれど、一方でそれとのギャップの大きさを痛感させられるのは、目の前を流れてゆく言葉の、情報の数々。

誰かにたずねられ、依頼され、問題点が生じて相談され、解決策を思量しあう・・・都度、それが一番、大切な仕事の本質であるのに、対応できずに木偶の坊と化さざるを得ない連続。「分からないことはききまくれ」ができず、日々、大量発生する問題点がどう解決していったのかの過程も把握できず、普通なら当然、積み重ねてゆく「経験」として残らない時間の通過。

きこえないことはどうしようもないと、とっくに分かっているが、でも現実は容赦なく何度でも懲りずに襲いかかり、打ちのめされ、叩き付けられる。へこむなんて生やさしいものでなく。

こういうことを書くとネガティブであるとか、グチであるとかととられてしまうかもしれないけれど、きこえない(きこえにくい)者に共通する深刻な悩み。ただそれが周囲に伝わりにくい、目に見えない障害ゆえ障害それ自体も、それに起因する苦悩も通常の生活では分からない。

僕もここで書いているだけのことで(実名をさらして健康的に)、逆に読まれない限りは、何も問題なさそうに明るく仕事している、不平一つこぼさず、立派だね、さすが大人だねなんて思われているだろう。そっちの方が周囲の気をもませることも心配をかけることもないという意味でも。

同障者は皆、多かれ少なかれ内に抑え込んで、心に秘めて、でも、それがただでさえ目に見えないこの障害の精神的な苦しみの理解を遠ざけている大きな要因にもなっているから厄介だ。


 

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