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聴覚障害者カフェ
聴覚障害者と仕事
老若男女を問わず、聴覚障害者の最大の関心ごと、悩みは「仕事」といっていいだろうと思う。完全失業率が5%台に乗ってから丸2年経過したデータが示しているとおり、仕事を見つけるのは聴者でも難しい昨今であるけれど、やはり聴覚障害者のそれは輪をかけて厳しい。
「職業選択の自由」というが、聴覚障害者の就く職業は限られているというのが現状だ。きこえない者が医師になれない、免許が取れない、試験が受けられないといった欠格条項の問題(それらは最近の運動でかなり廃止された)とはまた別の、そもそも、聴覚障害者は労働者としてなかなか雇用されない、仕事を見つけられないという問題である。
社会の中で生きてゆく時コミュニケーションが最重要なこと、とりわけ仕事においては電話が大切なことは、以前に書いた。聴覚障害者がどんなに意欲や能力を有していても、意思疎通に大きなバリアを有する聴覚障害者は、使用者が採用を敬遠してしまう。
ようやく採用されるのは、聴覚障害者本人の意思とは程遠いところである上、その仕事の内容も単純作業や、定型業務、補助的な業務ということが多い。刻々に変化するニーズに速やかに対応すること、チームでアイデアを形にしてゆくことに必要なコミュニケーションが難しいのが、聴覚障害の特質であるから。どうしても、人を相手にするよりも、モノを相手にした仕事になりがちだ。
もっとろう者に仕事を、やりがいを
分かりやすい例で言うなら、僕が頼まれて話をするときよく使うのだが、例えば学生を相手に「これまで、アルバイトの経験がある人は? 今アルバイトをしている人は?」と問うと、ほぼ全員の手が挙がる。「では、明日、自分がきこえなくなったとして、その仕事を続けられるかな?」ときくと今度はほぼ間違いなく全員の手が下りる。働かずして生きてゆくことはできないのに、聴覚障害者は働く場を容易には見つけられない。
企業や官庁に障害者の雇用を促進する義務を定めた法定雇用率という制度がある。そのときでも聴覚障害者は他の部位の障害者に比べて圧倒的に不利である。一般に「障害者枠での採用」というのだけれど、そもそも言葉を覚えるだけで血のにじむような努力と膨大な時間が必要な聴覚障害者には、学力、知識力を問うペーパーテストでは、他の障害者とスタートラインからして違っている。面接ともなるとお手上げだ。仕事を教える時点で、毎日の意思伝達で苦労する聴覚障害者よりも、物的設備を配慮することでバリアのとれやすい他の障害者の採用されるケースが多い。法定雇用率といっても、「障害者」で一括りするのではなくて、その採用の中身が、最低でも障害種別の割合に応じたものとなっているかどうかまで見なければ、正確なものとはいえない。
それから、運良く採用されたとしても、聴覚障害者は職場になじみにくく、定着率も一番、悪いといわれている。どうしてもコミュニケーションがうまくとれずに、職場で人間関係をうまく築けないせいだ。聴覚障害者でなくても、人間関係が原因で辞める人の多いことを考えてみれば、分かってもらえるだろう。どんなに経験を積んでも、単純作業、補助業務の毎日ではやりがいも感じられず、面白くもない。ちょっとした気晴らしの雑談の相手もなければ、心も塞ぐ。鬱になる。
僕自身は今の職務に充分、満足している。創意工夫やアイデアの発揮できる余地の大きい、自分の力が活かせる業務である。でもやはり、異動を前提とする職業上、いつもそうである保証はないし、社会の中で生きてゆく中では、ダイレクトに人と関われる仕事もしたいという気持ちを一方で持っている。僕だけではない、きっと、みんな同じだろう。今こうして仕事のあることに、そして満足できている僕はまだ、幸運な方だ。ろう者の仲間には、勤め先がつぶれてしまう、経営が苦しくなると真っ先に解雇される、そして、ひとたび辞めてしまうともう、なかなか仕事を見つけられないといった者が多い。
僕は今の職場を勤めて14年目。何度かの異動を経て数百人の人たちと一緒に仕事をしてきたことになるけれど、聴覚障害者の能力が聴者に比べて劣っているとは決して思わない。ろう者の仲間の中には、素晴らしい技術や能力を有しながら、それを発揮できない、発揮できる職場に就けない人たちが非常に多い。何とかならないものかと思う。そういう気持ちをずっと持ち続けている。
新聞記事、国際面に
そんなときに、今日の新聞記事に目を引かれた。聴覚と知的の障害を有する人たちがパリのカフェで働いている、障害者が中心で店を切り盛りしているのだという。
聴覚障害者が経営する店というのは、絶対数は非常に少ないけれど、ないわけではない。ろう者が集いやすいメリット、同障者の求めるサービスを提供できる良さが支持される。フランスでなくとも、日本にも数年前にあった東京の喫茶店は有名だったし、今でも全国を探せば他にも色々あると思う。
新聞の国際面というのはご存知のとおり、わずか2頁しかない。世界各国の主要ニュースが厳選されるはずの国際面に、聴覚障害者がカフェで働くだけなら決して珍しくはない内容を、大きなスペースで掲載するだけの価値ある記事なのかと、最初、疑問に思った。でも、読んでみるとなるほどとうなずける。ひとつは、聴覚障害だけでなく、知的障害を併せ持つ人たち(重複障害者)が主役であること、もうひとつ、この試みがフランス政府と企業の支援を受けているということだ。
手話のできる店員ではなく、お客が手話で
カフェというのは客商売の最たるもの。皿洗いや調理ではなくて、客との注文を受けるウェイター業務はどうやって? お客はメニューを指差すか、テーブルに示された手話で伝えるのだという。レストランで手話のできる店員がいるというのは、時々あるけれど、そうじゃなくて、聴覚障害者が主体で、客の側が手話で注文するというのが面白い。
こうでなくてはいけない。聴覚障害者を雇うとき、先にも述べたとおり、どうしても聴者の補助的な、後方的な業務になってしまう。コミュニケーション部分は聴者が対応して、聴覚障害者は皿洗い・・・ということになってしまう。それではいけない。それではいつまでたっても聴覚障害者は聴者との接点をもてない、社会に出てゆけない。
カフェでの注文くらいなら、そこに手話のイラストが示されていたら初めての客でもできる。聴者の側には、海外旅行に出かけて、現地の言葉で注文してみるような楽しみがついてくるだろう。外国語を学んだことがある人なら、手話を学んだことがある人なら、誰だって、自分の言葉が(サインが)初めて相手に通じたときの感動を忘れていないはずだ。
手話で ── "カフェオレ、ワン、プリーズ"
笑顔で ── "カフェオレ、ワン、オールライト"
素敵じゃないか! 手話や聴覚障害者に対する理解のきっかけとして、聴者と聴覚障害者のコミュニケーションのきっかけとして、これ以上のものはない。
失業者を、中高年者を、障害者を採用した企業に補助金が出る制度は日本にもある。一歩進めて、単にカネで「採用」を促すだけでなく、どうやったら主体的に仕事に向かえるのか、「自分が必要とされている」という働きがいを感じられるのか、この記事はいいヒントを与えてくれている。是非、日本でも、こうしたところに政府が援助し、企業も支援していくという形になってほしい。世界中に広まってほしい。
きっと今回の記事の掲載の意図もそうしたところにあったはずだ。読売新聞社に感謝したい。
2003-07-29










この記事よんでいろいろかんがえさせられました。私は最近カフエくくるというお店を沖縄でオープンしました。くわしいいことは ブログをみてほしいのですが私のお店はろうあ者中心のお店です。お店での第一言語は手話です。働いてもらっている健聴者の方々は手話講座に通い手話を勉強しています。私の妻は風疹児で耳が聞こえず、彼女をはじめ、彼女の風疹児の友達が健聴者にあわそうと努力し疲れていることをしりました。ならば沖縄県に一つぐらい手話で会話のできるお店があっておもいいのでは、との思いから、カフエをオープンしました。お蔭様でろうあ者の友達、手話を勉強している方々によろこんでもらっています。
カフエをオープンしたもう一つの理由があります。それは、ある団体のろうあの友人からの手話通訳を依頼されましたが、その団体の幹部から迷惑だと断れたからです。目の不自由な人にはつえが、足の不自由に人には車いすが必要なように耳の不自由な人には手話通訳が必要であることを何度も訴えましたが理解してくれませんでした。それをなくしたい、耳の不自由な人、そうでない人があゆみよって生きていける社会との思いからお店をオープンしました。沖縄にくる機会ある時は是非たちよってください。